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中毒

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 私は長い間、文章と言うものを書き続けている。


 本を読むのは子どもの頃から好きだった。好きだったと言うよりも、それしかすることが思い浮かばなかった。

 自分の母語の本が手元にない事態になった時には、辞書すら読んだ。電話帳があれば、きっとそれだって読んだろう。

 滅多に本を持たずには外出しない、私はその程度に、活字を読むことが好きだ。


 ごく自然に文章を書き始め、なぜこの表現方法を選んだのか、私にもよく理由がわからない。

 初めて、自分で何かを形にしたいと思った時に、それをきちんと形として外へ出したのは自作の詩集だった。それが数冊たまった後で、それなりにまとまった文章を、物語の形で書き始めた。

 以来私は、頭の中に湧き続ける(内容と質についてはあえて問わない)物語を、ひとりで綴り続けている。


 正直なところ粗製濫造としか言い様がないが、恐らく私にとっては、書いてそれをとにかくも形にして外に出すと言う行為が重要なのであって、出されたものの色や形や味と言うものは二の次なのだろう。

 どれもが似通っていようが、どれもがつまらなかろうが、どれもが面白くもなかろうが、私にとってはおおよそどうでもよいことと思われる。

 完成した形にしてみなければ、良いも悪いもわからない。つまるかつまらないか、書き上げてみなければわからない。そして完成したそれは、もう私の手を離れてしまったものだ。私ではない、私であったものだ。それを面白いつまらないと言うのは、他の人たちだ。私ではない。

 書き上げた瞬間の私にとっては、どんなものでも大傑作だ。少なくともその瞬間だけは、私は自分の所業に昂揚していられる。書き上げたのだと言う、ただその一点だけで、私にとってはどんなものも大傑作だ。

 次の瞬間には、絞りカスのようになった脳から、書いたことの記憶のほとんどが消え去り、もう次の物語を追い駆け始めている。

 私はその程度に無責任に、書き散らし、書き上げて、また書き散らし続けている。そうせずにはいられないのだ。


 私が書くものは、その瞬間の私だけが書ける、その時だけのものだ。昨日の私は思いつかず、2週間後の私には思いも寄らない、そんなものだ。一期一会、私が書くものは、どんなつまらないものもすべて、その時だけのものだ。価値はない。だがとても貴重なものだ。

 昨日の私が明後日の私より優れているわけではないし、5年前の私が今日の私より劣っているわけでもない。その時の私は今の私とは違い、違う私が書くものに優劣はない。つまるつまらないはあっても、優劣はない。


 それでも、振り返って、奇妙に充実した文章を書いていたと思われる頃には思い当たる。恐らくその時の文章の方が洗練され、鋭さもあって、今よりも情熱に溢れていたように思える。そして時には、その頃の文章で、今思うことを書き記せたらと、思う時もないではない。

 それでも私は多分、その時に戻りたいとは思わないだろう。今の私には今この瞬間の私にしか書けないことがあるだろうし、あの頃の私にはあの頃の私でなければ書けなかったものがある。ただそれだけのことだ。

 私はいつだって私でしかないが、それでも昨日の私と明日の私は、どこか微妙に違う存在であるはずだ。


 違うと言うことは、だが成熟したと言うことではなく、私は相変わらず未熟なまま、恐らくいつまでも成熟したと言う感覚など持てないまま、書き続けるだろう。

 私の頭の中に物語が溢れ続ける限り、書くと言うことに終わりはなく、私はいつまでもいつまでもこの飢えを抱え込んだまま、いつかもしかして、書き続けるその先で、この飢えが満たされるのかもしれないと思いながら書き続けるのだろう。

 ほんとうに望んでいるのは、この飢えが満たされることなどではない。飢えが満たされると、そう思うのは心の一片でだけだ。

 私は、手を動かし文字を書き記し、そして何かを表わすと言う行動それ自体に淫している。酒呑みや煙草飲みと同じだ。私は書くことに中毒し、常にその行動に飢えている。書けなくなることを、私は常に恐怖している。


 目が見えなくなること、しゃべれなくなること、耳が聞こえなくなること、指や手や腕を失くすこと、足を失くすこと、体の動きを奪われること、物が考えられなくなること、私が、そのどれをいちばん恐れているのかよくわからないが、物を書くことができなくなることは、恐らく容易に私を絶望に叩き込むだろう。

 その事態を想像することは、私を恐怖に陥れる。まだ起こらないそのことに、時々私はひとり勝手に恐怖する。

 未熟な私は、その架空の恐怖を自分の中で消化できず、こんな風に書き記して外へ垂れ流す。目に見える形にして垂れ流し、それがまだ絵空事であると安心する。

 まだそれは起こっていない。私はこうして書いているからだ。私はまだ自分の脳で考え、手指を動かして文字を書き、自分の目でそれを確かめている。

 私はまだ、書き続けている。


 私が成熟することなどあり得ない。成熟したと感じることなどあり得ない。私は未熟なまま、たどり着かないまま、書き続けるのだ。私は私のまま、たどり着くことなど目的にも目標にもせず、ただ書き続けるのだ。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0) | トラックバック (0)

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