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道の上 2

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 「君が訊いたことは嘘じゃないけど、僕らにも言い分はあるんだ。」

 目を細め、彼を見上げて、私は彼の言葉に必死で集中した。授業中だって、こんなに一生懸命誰かの言葉に耳を傾けることはない。

 「あの子たちは、盗みをするし人を傷つけもする。人殺しも厭わない。靴片方のために、あの子たちは人を殺すんだ。」

 映画や音楽でしか聞いたことのない、殺すと言う言葉を耳にして、私は少しだけ頬を打たれたようにうろたえる。殺すと言う言葉は、どの言葉でも聞いても、こんな風に禍々しく響くのだろうか。

 彼は、少なくとも私がきちんと話を聞いていると思ったのか、相槌すら打たないのに、そのまま話を続ける。

 「僕の友達も、ああいう子たちに殺された。僕のいとこもだ。政府は、そういうことを未然に防ごうともしてるんだ。」

 私は、彼の言うことを正確に聞き取っているかどうか不安になりながら、思ったことを、数の足りない単語数で必死に表わそうと努力する。収容所、と言う言葉が分からず、代わりの言葉を探して、結局訳の分からない言い方をした。

 「集めるとかは? 家とか。」

 「学校とか孤児院みたいに? そんなところに入れたって、彼らはすぐ脱走するし、彼らはそもそもそんなところに入れられたいなんて思ってやしない。」

 彼の言い分は、半分くらいは一方的なように思えた。それでも恐らく、彼に言わせれば、私がテレビで見た放送のされ方も極めて一方的な意見なのだろう。正しいことはひとつではないのだと思いながら、私はそう思うことすらきちんと表現できないことにひとりで焦れ、彼の話を一方的に聞くしか術のない、自分のあらゆる拙さを歯痒く感じている。

 彼の言うようなことを、私はほとんど見聞きしたことがなかった。浮浪児たちは盗みをしたり人を殺したりする、収容するのも無駄、他に手立てがないので彼らを殺すことにする、そんな恐ろしい話が一体どこに転がっているのかと、私は海を越えた遠い、名前さえ彼らの言葉でそのまま発音できるか怪しいある国の出来事に、完全な他人事として憤る。安全な場所で、家族や友人を殺される恐れもなく、その浮浪児たちに対面する機会すらないまま、彼らの悲しい運命を嘆く。単なる自己満足だ。

 彼はそうではない。その子たちに日々直に会い、彼らが何をしているのかを知っている。彼らが、ただ可哀想なだけ──見方によっては、もちろん彼らはただ気の毒な存在だ──の憐れな孤児たちではないと知っている。残念ながら、彼自身が被害者であり、その立場から、加害者である浮浪児たちが"駆除"──これは、テレビが使っていた言葉だ──されることを黙認するのも仕方がないと思っている。

 私はただ彼の話を黙って聞くしかなく、それは私の言葉の未熟さだけのせいではなく、ほとんど生まれて初めて、自分の振りかざす正義が絶対ではないと思い知らされ、そして正義の形も存在も、ただひとつと言うわけではないのだと、目の前に突きつけられたからだった。

 私は、自分の幼稚さを恥じた。できれば、この場で彼の前から消えてしまいたいと思った。

 「わかった。あなたの言うことは、わかった。」

 私は心の底から素直にそう言い、だが謝罪の言葉のようなものは付け加えなかった。私の見聞きしたことは少なくとも完全に間違いではなかったからだ。見解の相違と言う代物を、口にする前に考えなかった私は愚かだったが、私が悪かったと自分のことを思ったのは、彼の気分を知らずに害してしまったというただその一点だけだった。

 「起こってることが正しいとは思わない。でも、困ってる人たちがいるのはわかった。」

 「・・・僕らだって、あの子たちが殺されるのを正しいと思ってるわけじゃない。」

 でも他に手立てがない、と彼が言葉を切った後に、私にはそう聞き取れた。主には言葉の問題で、私はそれ以上彼に問うことをしなかった。

 私たちは、ごく自然にそのままバスの乗り場まで一緒に行き、一緒にバスに乗り、横に長い座席に肩を並べて坐り、バスの走る音に負けない声を上げて、ほとんどは彼が一方的に学校のことを話すのを聞いていた。

 学生たちはほとんどが街の中心でバスを乗り換えるので、私たちも同じ様にターミナルでバスを降りたのに、すぐ次のバスに乗れる彼は、15分待たなければならない私の傍を離れず、結局私たちはその後2本のバスを乗り過ごし、ベンチでずっと話をした。

 彼は熱っぽく自分の国のことを語り、いろんなことを変えて行かなければならないと、繰り返し言う。

 暴動が繰り返され、そのたび政府は軍を出動させ、街中に──彼は首都に住んでいるそうだ──戦闘機が飛び交う。彼が両親と暮らす背の高いアパートメントの、最上階に近い窓から、その戦闘機がよく見えると、彼がほとんど可笑しそうに言った時、私は、ここへ来る以前の自分の暮らしのことを考えた。

 軍の基地の近くに住んでいたから、学校へ通う──私は学生だった──電車の窓から、展示されている飛行機を見たことはある。母は基地のある街で仕事をしていた時期もあった。明らかに外国人の多いその街は、彼らに合わせた生活用品や文房具が多く売られ、それを珍しがって母があれこれ買って帰って私に見せる。私は軍や戦争を、特に理由なくありがちに忌み嫌っていたし、それに参加するすべての国や政府を、ただ愚かだと内心で常に一刀両断していた。

 「僕は、ここでは好きに話ができるけど、国に戻ると手紙すら自由には受け取れなくなるんだ。僕や僕の家族が受け取る前に、全部開封されて中身をチェックされるから。」

 なぜ、と私が訊く。国の方針なの?

 「そうだね、方針でもある。僕の母さんは元々ロシアの人間だし、父さんはドイツ移民と山岳系原住民の混血なんだ。そのせいで色々あって、うるさいことを言われる。」

 国同士の政治的な軋轢にまったく知識のない私は、彼の家族がロシアやドイツからやって来て、そしてそこの原住民とさらに交わったと言うのが、なぜ彼の国の政府にとって都合の悪いことなのかよくわからなかった。彼は詳しく説明してくれたが、私にはほとんど理解できなかった。

 原住民の混血であると言うのは、彼の国ではほとんど恥ずべきことであるらしく、そう言えば、別のクラスの彼と同国人の女性──父君が弁護士で、非常に裕福な家族だと聞いた──が、その原住民の人たちを指して、

 「森の中に住んでる野蛮人。」

と、眉をひそめて吐き捨てたと聞いたことがある。彼女は、自分の血筋がスペインからの直系であることが非常に自慢だったらしい。

 北海道にゆくのにパスポートがいると言う冗談を信じてしまったような私には、無知の極みで何がどう恥で何がどう自慢なのか、一向に理解もできない。

 普通に街を歩いていて、トラックの荷台にあふれるほどの人が乗り、その人たちがすべてライフルを携えている、と言う彼の日常は、私にはどうあってもただひたすらに遠い話だった。

 高校の時に、オーストリア人の母親を持つ後輩──私の高校には、片親が外国人の生徒がたくさんいた──は、そう言えば18までに国籍を選ばないといけない、今もどちらを選ぶかで親への愛を試されてるような気がして嫌になると、一緒に電車に乗っていてぼやいていたことを思い出した。

 世界の広さを目の前に見ながら、私の心は相変わらず矮小なまま、彼に答える言葉などひとつも持たない。それでも彼は、私に向かって熱っぽく語り続けた。私は黙って、彼の言葉をできるだけ全部聞き取ろうと、耳だけを必死に傾けていた。

 「セサミ・ストリート、見れなくなったね。」

 突然彼が言う。彼の今まで使っていた難しい単語の中に、不意に耳に馴染んだ言葉が混ざり、私は一瞬意識の切り替えがうまく行かずに、妙な表情を浮かべてしまった。

 「別に。明日もあるし。」

 「毎日見てるの?」

 彼が冗談めかして訊く。私は真顔でうなずいた。彼がちょっと表情を改めて、私には冗談が一切通じないとようやく悟ったようだった。多分、冗談を言うのも理解するのも、まずは言葉の能力が必要で、それは今の私には徹底的に欠けているのだとやっと気づいたのだろう。

 妙な人だと、私は彼のことを考えた。言葉が通じているかどうかもわからないのに、こんなに熱心に話をして、虚しくならないのか。今日見損ねてしまったセサミ・ストリートを意外なほど惜しみもせず、私は、またにこにこと笑みを浮かべ始めた彼につられて、いつの間にか微笑みを浮かべていた。

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