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通学路

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 大通りで工事が始まって、そこをバスが通れないので迂回ルートを使う。臨時のバス停が設けられ、そこまで普段の3倍の距離(とか言ってもたかが10分足らずだ)を歩くのだが、今朝、歩く方向が真っ直ぐに太陽と対面することに気づいた。

 天気の良い日に、朝から太陽が輝いているのが眩しくて、久しぶりに世界を美しいと感じた朝だった。


 臨時のバス停は学校の前なので、通学中の学生たちと同じ方向へ向かって歩くことになる。

 よく一緒になるのは、3人連れの少年たちだ。両脇のふたりはほぼ同じ身長で、真ん中の子は彼らより頭ひとつ分背が低い。騒がしくしゃべりながら道いっぱいに広がって歩く彼らを見て、自分に子どもいたらあんな風にはしないと思ってみたりもする。

 この間は、どの子がどの子へ言ったのかは知らないが、

 「オレの親父でもないくせに!」

と言う会話の断片が聞こえて、ふと、こんなことを言う輩に限って、実の父親の言うことだからと、別に神妙に聞く気もないんだろうなと、そんなことを思った。

 今朝は彼らを見掛ける前にバス停に着いたのだが、相変わらず騒がしくやって来る彼らは、正面から眺めてもやっぱり騒がしい子どもたちだった。


 バス停には別にベンチがあるわけではないが、歩道の端に芝生との段差があるので、そこに腰掛けてバスを待つ。

 元々背の低い私には、地面に近い方が落ち着く癖があって、そうすると走り過ぎる車の助手席と目が合い、乳母車に乗って連れられてゆく赤ん坊たちと目が合う。

 目が合って、笑う赤ん坊もいるが、ほとんど驚愕と言った表情を浮かべる赤ん坊もいて、異人種がそんなに珍しいのだろうかと常々思っていたが、今日ふと、もしかすると私が掛けている眼鏡のせいかとふと思いついた。

 生後1年程度の赤ん坊に、顔立ちの違いや髪の色の違いがどのように見分けられるものが、私に分かるはずもなく、そんなことではなく、単に眼鏡を掛けた人間を見慣れないだけだと言う方が正確なのではないかと言う気がした。


 背の低い、大抵の場では異人種として存在する私は、子どもたちには、性別も年齢も見分けられない、よく分からない存在として認識されることが多い。身長のせいで彼らの仲間かと一瞬思うらしいが、私はたいてい彼らの親に連れて来られるので、それなら親側の人間なのかと思い直して、そうして、子どもたちは私に対してどういう態度を取るべきか迷うらしい。

 きちんと礼儀を持って大人として対するべきか、仲間として飛び掛ってテレビで見たプロレス技でも仕掛けてみるべきか、この幼稚な言葉遣いは大人のはずはないが、親たちはそれなりの態度を取っている、我々はどうするべきなのだろう、彼らの葛藤は、観察している分には非常に興味深い。


 大型犬には、よく新しいおもちゃと思われる。

 うっかり習慣で床に座ると、すぐさま頭上から飛び掛られて、人間相手の躾はされているはずだが、おもちゃ相手では話が別だ。声を発して初めて、

 「これは何だかおもちゃじゃない。」

とようやく認識される。

 おかげで、大型犬の近くへ寄る時は、必ず飼い主がその犬を押さえていることを確認するようになった。怪我をすれば自分も困るが、犬が処分でもされる羽目になるともっと困る。

 小型犬なら大丈夫かと言えば、こちらはこっちをあたたかい椅子と思うようだ。膝に乗ったり体に乗り掛かったり、多頭飼いの友人宅では、常時数匹が私の膝を取り合っている。

 どうやら膝がいちばん良い場所らしく、その次が腹の上、それからふくらはぎの辺りらしい。嫌われるよりはましかもしれないと諦めている。


 私はもう、椅子やおもちゃや何かよくわからない存在である自分を受け入れて、とりあえずまた明日も太陽が目の前に輝いていてくれればいいと、そう思うばかりだ。

 雨が降るとバス停までの道のりでびしょ濡れになってしまう。手持ちの傘が小さ過ぎるからだ。

 だが、雨の日もそう悪くはない。

 この間は、例の臨時のバス停で、高校生らしい男女のふたり組と一緒になった。雨宿りの場所もないそこで、ふたりは一緒に雨に濡れていて、少女の方は自分の荷物には頓着していなかったが、少年の方はシャツの下に教科書の束らしい四角いふくらみを隠して、そしてようやく目当てのバスが来ると、少女だけがバスに乗り、少年の方は、

 「あーあーまた濡れちゃうなー家まで歩いて帰らなきゃーあーあーもっと濡れちゃうなー。」

と、まるで彼女に罪悪感でも抱かせるように(もちろん冗談だ)言い続けながら、バス停に顔を向けたまま、歩道をあとずさってゆく。走り去るバスをそうやって見送ってから、彼はようやく普通にこちらに背を向けて走り出した。雨の中で、それでも彼は最後までうれしそうに微笑んだままだった。

 バスの中の彼女は、そんな彼の姿を目の先に追って、一緒にくつくつ笑い続けていた。

 雨の日には、そんな出来事が明るい太陽の代わりになる。


 バス停が遠くなったせいで、元々の出不精に拍車が掛かっている。家に閉じこもっていると、ろくなことを考えない。

 太陽を正面に見据えて、なるべく外へ出よう。いろんな美しいものを見よう。美しいものを見て、脳を満腹にしよう。心がひもじがっている。だから、美しいものを見つけに、明日も外へ出よう。

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