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雨の中の恋

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 私に傘を差し出す彼女の肩はすでに濡れ始めていた。

 折り畳みの小さな傘は、恐らく出掛けにきちんと天気予報を見て、雨が降ると言うのを信じてきちんと用意して来たのだろう、彼女の律儀さを表わしている。

 雨が降ると大声で言われようと、その時に降っていなければ傘を持ち出すことなど考えもしない私とは真反対の、その彼女の優しさは、びしょ濡れになり掛けていた私の、他人への思いやりなどない心をひどく打った。


 彼女が私に、傘の中へ入れと言う仕草をする。傘は、彼女ひとりがやっと濡れずにすむかもしれない小ささなのに、彼女は私にそこへ入れと言い続ける。

 入れば、否応なしに体が近づく。まずそれを考えるのは私の邪念であって、彼女の世界に向けた親切心を、私は心の中でそうやって踏みにじっている。

 小さな傘の下に体を寄せ合って雨をよける。降る雨に覆われ、そして薄暗い昼間、傘の中のことなど外からは見えず、彼女と私はその小さな空間へふたりきりで閉じこもる。

 ふたりきりと思うのは私だけだ。閉じこもると思うのも私だけだ。

 雨の中、傘の下へ頭の半分を差し出し掛けて、私は彼女に恋をしていた。


 彼女のこの、万人に向けられる優しさを、勘違いしているだけだと私は知っている。彼女が微笑むのは、単なる優しさであり、そこには何の特別の意味もないのだと私は知っている。にも関わらず、私は彼女と恋に落ちる。私が一方的に想いを抱くのに、"彼女と"と言うのも妙な言い回しだと思いながら、まだ傘の下へ完全には入らず、私は彼女を見つめていた。


 この雨がやめば、終わってしまう恋だ。あるいは、私は想いを抱(いだ)き続けるかもしれないが、どの道何がどうなるわけもない恋だ。

 行きずりのびしょ濡れの私に、彼女は、自分の小さな傘を差し掛ける。彼女は赤の他人と分け合えるほど優しさにあふれ、私はその優しさを素直に受け取る術を知らない。

 貪欲で傲慢な私は、彼女の優しさを値踏みし、検分し、自分の邪念と隣り合わせに、では彼女の邪念は何だろうと推察する。私に優しさを浴びせて、彼女に何の得があるのだろう。私と傘を分け合って、自分ももう肩や髪を濡らし始めて、彼女は何を求めているのだろう。


 求められて、与えられる何もない私は、ただ彼女に恋していた。目の前の、傘を差し出す彼女をいとおしいと思い、彼女のために、この雨が一刻も早くやむことを願い、そして雨がやめば、彼女はこの場を立ち去れるのだと、そう考えている。

 自力では恋などできない私は、雨の始まりとともに恋に落ち、雨の終わりとともに失恋する。立ち去る彼女の背にせめて、名前を尋ねるくらいの勇気は湧くだろうか。

 雨はまだやまず、私たちは中途半端に濡れながら、傘の円の端と端で見つめ合っていた。

 降り続ける雨の中、私は彼女に恋し続けている。

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