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優しい人々

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 週に1度、私はある場所で紅茶と菓子を買う。年齢も性別も人種も様々な人たちがずらりと並び、短く言葉を交わしながら自分の順番を待つその行列に、私もひっそりと加わる。手には持参のマグを抱えて、焼き立てのマフィンやカップケーキの匂いに、今日はどれを選ぼうかと考えながら、自分の番を待つ。

 週に1度のこの日、菓子は必ず誰かの手製だ。だから私は、その菓子のために列へ並ぶ。甘いものは大好きでも、自分で作ることしなければ、そんなことが得意な誰かとも暮らしていない私は、誰かの作った菓子が珍しくて、手に取ればたいていまだほのかにあたたかい菓子を、どれにするかと選ぶのを楽しみにしている。

 コーヒーや紅茶を売ることが目的ではなく、この場に人たちを集め、彼ら彼女らが関わり合うのを目的としてる場だったから、飲み物も菓子の類いも恐ろしく安く、紙コップをもらえば菓子込みで百円足らず、カップを持参すればさらに半額と言う値段だ。

 挙句、10回分に無料の1回分がついた前払いのカードもあって、私はそのカードを財布に入れていて、この日だけはいそいそとカードにすでに使って開けられた穴を眺めながら、ひとり微笑むのを止められない。

 世話役の女性たちは、彼女らの息子か孫のような青年たちを適当にこき使って、やたらと大きくて重い、熱湯の入ったポットやコーヒーメーカーをどんどん運ばせる。

 コーヒーメーカーと言っても、小奇麗なキッチンにちょこんと置かれているような品ではなく、高さは50cmほど、直径は30cmもありそうな、まさに鎮座ましましてと言うのに相応しい代物だ。

 新品のころはぴかぴかのつやつやだったろう本体の銀色すっかりくすんで、しかしそのせいで風格の増したその姿に、私はふと、付喪神と言う言葉を思い出す。


 こんなコーヒーメーカーを、私は以前も見たことがあった。

 同じように、年齢も性別も様々な人たちが、ただ同じものを好きだと集まる場所でだった。

 そこでコーヒーを用意するのは私の父親だった。別に誰かに頼まれたと言うわけでもなく、いつとはなしに父はそれをひとりで勝手に始め、恐らくそれは、コーヒー中毒の彼が自分が飲みたいからと、それがそもそもの動機ではなかったかと私は考える。

 コーヒーが置かれるようになって、それに手を出す人たちが増えると、父は今度はそこに菓子も添えるようになった。個別に包装された小さな焼き菓子を、父は自分の行きつけの店で買い求めて、無造作に、けれど奇妙に思いやりのこもった手つきでそこへ置く。

 それもきっと、コーヒーを飲む時には甘い菓子が欲しくなる、彼自身のためだったのだろう。

 父はあまり他人に対する思いやりと言うものをわかりやすく表現する性質(たち)ではなかったから、まめまめしくどこか楽しげにすら、顔も名前も知らない他人たちのために、頼まれたわけでもなくありがとうといちいち感謝されるわけでもなく、そんなことをする父の背中を、私は何となく微笑ましく、同時に奇妙に落ち着かない気分も一緒に抱きながら眺めていた。

 自分が飲みたいから、自分が食べたいから、そういう言い方は、恐らく父の照れ隠しだ。それが彼の第一の動機だったと、私自身否定はしない。だがきっと、それと同じくらい、父にとっては、あの場にいた人たちへコーヒーと甘い菓子を振る舞うと言う優しさの表現が、大事なことだったのだろうと今は思う。

 彼は他人からの優しさや思いやりに、照れずに感謝を示す(とは言え、それは家族以外、と言うことになるのだが)人だったが、他人から感謝されないと言って失望するようなことはしなかった。

 自分が与えられるなら与え、人が与えてくれるならそれに感謝する(彼の場合、受け取るかどうかは別問題だが)、そんな彼の態度は、その頃の彼の歳に近づきつつある今の私には不思議に年齢よりも幼いもののように思える。

 一部の大人の男たちが、案外とその手のことには無頓着だと知ったのは比較的最近だが、人種性別年齢関わらず、微笑んで挨拶することとありがとうと言うことは、かなり容易に人の心をあたたかくするし、とげとげしい気分をやわらげもすると私が学んだのも、実はごく最近のことだ。


 やっと自分の番が来ると、私は色だけは濃く出るティーバッグを取り上げて持参のマグへ放り込み、そこへなみなみと湯を注ぐ。湯の温度が少し足りないので、飲み始めるまでの時間を少し長くする。ミルクを注ぐのは飲み始める直前だ。

 それから例のカードを、そこにいる女性の誰かに手渡し、ひとつ穴を開けられてから戻してもらうと、時々指先が触れ合ったり、あるいはこちらの顔を既に覚えていて、顔いっぱいに微笑んでくれたりすることもある。それから菓子を選んでひとつ取り上げ、ありがとう、ではまた、と言葉を交わして、私の社会へ戻るための小さなリハビリのひとつが終わる。

 こんな風に微笑むことも、人へ言葉を返すこともできなかった私は、ひとりで外どころか部屋から一歩も出ることができず、誰かが焼いてくれたマフィンやケーキの味をすっかり忘れてしまっていた。

 自分に向かって誰かが他意なく微笑みかけてくれることなど、想像することすらできないほど私の心の中は荒み切っていて、だから初めて紅茶と菓子のためにここへ立ち寄った時、私は自分に向かって掛けられた言葉をすべて無視し、誰かと目を合わせることさえできなかった。

 女性たちのひとりは、その頃の私のことを覚えていて、時々笑い話にしている。

 少々不愛想とは言え、ごくごく普通に振る舞っていたつもりだった──ひどい誤解だ──私は、彼女の言葉に最初は驚き、それから苦笑した。羞恥や怒りはまったく湧かず、ああ自分は笑えるようになったのだと、笑う彼女につられて微笑みながら、取り上げたばかりの菓子にかぶりつく。


 幸せや優しさや思いやりは、別に大仰でなくてもいい。ささやかで小さな、ごくごく些細なもので構わない。

 おはようと言ったら、おはようと返してもらえる。ありがとうと言ったら、どういたしましてと返してもらえる。微笑みかけたら微笑み返してもらえる。そうやって少しずつ、私の1日は明るくなってゆく。

 時折、他人の優しさの、ありもしない裏を読み取ってひどい被害妄想に陥る瞬間もあるが、今の私は概ね健やかだ。

 他人と真っ当に関わる能力に欠けた私は、その無能さ以前に世界と人を思いやる気持ちに欠け、それを何とか補うために、私は目の前に紅茶と菓子を置いて、精一杯微笑むしかない。

 紅茶のあたたかさと菓子の味に感謝し、それを伝え、それを与えてくれる彼女らの底のない優しさに救われているのだと、私は自分の必死の笑みにこめ続ける。

 私は血の冷たい人間だが、紅茶と菓子のあたたかさが、それをそっとぬくめてくれる。そのぬくもりのために、週の初めにはもう、紅茶と菓子の甘さを恋しがって日を数えている。

 いつかその優しさや思いやりやあたたかさを、誰かに返せるようになればいい。そうすれば私のリハビリは終わるのだ。

 菓子を並べる父の、丸まった背中へ送った苦笑を、今の私は自分に向かって送っている。いつか私自身が、そんな風に背中を丸めて、誰かのために何かをするようになれればいい。

 その日がいつか来ると信じてはいないが、それでも私は、できるだけ微笑みを浮かべて、ありがとうと言い続けるだろう。それが私にできる唯一だ。

 優しさは大きすぎると言うこともないが、小さすぎると言うこともないのだ。

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