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冬の読書

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 この間まで、日陰を伝って歩いていたのに、もう日向を求めて歩く向きを変える季節だ。一昨日は、バスを待つ間に読む本のページを繰る指先が、凍えてかじかんでしまった。

 あっと言う間に黄色く染まってしまった木の葉は地面に落ち、街路樹は半分くらい裸になっている。天気予報が、地面が凍るから気をつけろと喚いている。

 じきに雪が降るだろう。積もるかどうかは分からない。だが雪が降って、本格的に冬がやって来たことを知って、短くなった日を心の底から惜しむ。鬱々と暗い空ばかり眺めて、春を恋う冬の時間がやって来た。


 私が今住むアパートメントは、日の差す方向へ窓が大きく取ってあって、板張りの床に、冬の間は1日中長々と日が差す。そこはとてもあたたかい。

 夏はこの日差しが朝の間だけわずかに入る角度で意外に涼しく、深く考えて選んだ部屋ではなかったが、1年過ごした後で太陽の動きに気づいて、私はひとり会心の笑みをもらしたものだ。

 太陽の光を何より有り難がる育ちの私には 陽射しで家具が傷むとかそんな考えは一片もなく、あるとすれば、本棚の本の背表紙が色褪せるのが気になるかと、その程度のことだ。


 実のところ、本の日焼けは少しばかり気にはしているが、取り立てて貴重な本ではなく、読むことにさえ支障がなければいいかと、本棚が窓際からは遠いと言う以外には何の対策も講じてはいない。

 とは言え、本が傷む点には、万が一同じ本を手に入れようとすると恐らく大変だと分かっているから、いつも心の端っこに引っ掛かっている。

 近頃は、出版から数年で絶版になったり、本屋で手に入らなかったり、そんなことが多いから、本も欲しいと思った時に手に入れないと、後で痛い目に遭うことが多い。

 本を乱暴に扱う癖はないから(日焼けだけは仕方ないと放置だが)、普通に扱っていれば読めないほど傷めることはないはずだが、これも近頃は装丁が甘いと言うのかやや雑と言うのか、新しい本に限ってやたらとページが取れてしまったり、背表紙が簡単に折れてしまったり、そんなことが目立つ。

 だからと言うわけではないが、近頃は読んでいる本には必ずカバーを掛け、カバーの折り部分を栞にして、絶対に伏せて置いたり、本自体を開き過ぎたりしないように、以前より一層気をつけている。


 そんな本を手に、寒がりながら外へ出る。バス停まで、もう白い息を吐きながら歩いて、立ち止まってまだバスの影も形もないことを確かめてから、カバンの中から携えて来た本を取り出す。読み掛けのページを開き、かじかむ指先に白い息を吹き掛けながら、小さな文字を読み進む。

 もうじき手袋が必要になるだろう。指の自由がそれなりに利く一重(ひとえ)ではじき足りなくなり、分厚い、握る以外のことはできなくなるしっかりとした手袋のその下に、もう1枚、ごく薄い普通の手袋を着けることになる。

 そんな風になると、もうそのまま本のページを繰ることは不可能になり、ページを繰る方の手は、そのたび手袋を取るか、あるいは取ったまま、凍傷にならないことを祈りながら上着のポケットに突っ込んでおくか、どちらかになる。

 冬は、外で本を読むにもひと苦労だ。


 雪でも降り出せば、もう本を開いておくことはできず、渋々手持ち無沙汰に足踏みしながらバスを待つ。

 それでも頭の中は、読み掛けの文字の続きを追っていて、あるいは、以前読んだ本の中身を反芻している。

 本がなければ外に出るのに物足りず、カバンがその分軽いと不安になる。

 外で読めないのだから必要ないと分かっていても、持ち出さずにはいられない。

 二重三重の、もこもこの手袋の指先で、バスの定期すら上手く扱えないのに、何とか本のページをそのまま繰れないかと、私はいつも無駄なことを考えている。


 冬の日に、部屋の中の陽だまりで、淹れたばかりの紅茶のカップを傍らに、新たに本棚から取り出した本の、最初のページを開く時の、何とも言えないふわふわとした幸せな気持ち。

 それがもう、すでに何十回と読んだ本だろうと、私はいつも同じ幸せな気分を味わう。

 白い息を吐きながら、ページを繰るのに苦労する必要もなく、私はあたたかな部屋の中で易々と本の世界に入り込み、素手の掌の上に載せた本の重みにほとんどうっとりとなりながら、舌を焼くほど熱い紅茶の存在をすっかり忘れてしまう。

 夏には汗で指先がべとつくこともあるが、冬にはその心配はなく、そして今は部屋から出てゆく必要もなく、素手のまま本の読めることを、窓の外を眺めてありがたく思う。


 雪の降り出す前に、存分に本を読んでおこう。

 夏にはそればかり求めていた木陰を避けて、陽だまりを見つけて、息の白さが視界に幕を張ったりしない位置に本を開いて、数分後にはやって来るはずのバスの姿が、あそこの横断歩道の向こう側にやって来るまで、私は本の世界に没頭する。


 今朝、そうしてバスを待っていた私に運転手が気づかず、素通りして走り去ったが、私もうっかり気づかずそのまま本を読み続けていたのは内緒だ。

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