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大切なこと

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 まだ私が、今よりもう少し若かった頃、私は小さな街の小さな会社で運転手として働いていた。

 運転手は他にもたくさんいて、私たちは仕事の終わりには客から受け取った金を会社に渡し、そこから歩合として一部を受け取って帰ると言う形で働いていた。

 その金のやり取りのすべてをそこでやっていたのが、彼女だった。


 家族経営のその会社で、彼女は一体どういう関わりだったのか、ひとり異人種の肩身をやや狭そうに、そして言葉もたまにおぼつかなく、金のことだけは心配いらなかったが、時々こちらとあちらで計算が合わないとお互い理解し合うのに時間が掛かることもあった。

 彼女を異人種と言う私も、その頃はまだ移民待ちの外国人で、言葉の慣れは彼女よりはましだったが、私に付き合う客の方の苛立ちは時々はっきりとこちらに伝わった。

 1円の間違いも受け入れない彼女は、それでも自分の方が間違っているとなればあっさりと引いて謝るので、彼女が正しい限りに於いて融通の利かない頑固さには時々閉口もしたが、概ね運転手の面々には好かれていたように思う。


 彼女の詳しい身の上などまったく知らず、特に誰とも親しくはしなかった私の耳に入って来る彼女の噂話などなく、運転手の幾人かが、彼女の外見をからかって冗談にする場面には何度か行き合わせたが、彼女はその冗談を理解できないものか、或いは端から相手にもしていなかったものか、普段と変わらない笑顔を向けるだけで、怒った顔など見掛けることはなかった。

 彼女は仕事の始まりには必ずおはようと言い、仕事の終わりにはさよならありがとうまた明日と、誰にでも言った。仕事の終わりにありがとうなどと言われることに誰も慣れてはいず──私だけではなく、誰も──、最初は誰もその言い方に面食らうのだが、慣れればそれが彼女風の、表現のややつたない彼女なりの、世界に対する感謝の意味なのだと悟って、

 「ありがとうって、何が?」

とちょっと意地悪く訊き返す誰もが、3度やっても彼女のありがとうが消えないと分かると、素直に、また明日と返すようになる。


 あらゆるものに意思があり、人はそれに対して常に感謝をすべきだと言うのが、彼女の生まれ育ったところではごく当たり前のことなのだと、私はそこで働き始めて随分経ってから彼女から直接聞いたのだが、

 「へえ、じゃあそこにある石でも?」

わざと転がっていた石を蹴飛ばしながら訊くと、彼女はその時両手に抱え込んでいたコーヒーのマグから顔を上げて、

 「ええそう。」

と真顔で答えたものだ。

 私はちょっとの間自分の行いを恥じて、赤くなった顔を慌てて隠した。


 私たちは特にこれと言った個人的な話をすることはないまま、それでも何となく互いに好意を抱き合っていたように、私は今も思う。

 一生懸命働くのは自分のためだったし、金を稼いで運ぶのは会社のためだったが、その金を直接やり取りする彼女に私の働きぶりを見せることを、私はいつの間にか汗水垂らして働くことの励みにするようになっていた。

 仕事始めに、特に必要はなくても会社に寄り、彼女に挨拶だけするようになると、

 「あなたの顔を見ると元気が出るの。」

 恐らく誰であっても、彼女は同じことを言ったろう。そうと思っても、私は毎朝会社に顔を出し、彼女──もちろん、事務所にいる他の人たちにも──に挨拶をして、彼女が私に微笑み返してくれるのを確かめてから仕事を始める。彼女は笑っておはようと言い、仕事へ出掛ける私に、行ってらっしゃいと笑顔を向ける。手を振る彼女に手を振り返して、私は事務所を出るのだ。

 仕事の終わりにまた彼女のところへ戻って、金の受け渡しをする時に、彼女はそれもまた習慣かどうか、丁寧な手つきで金を全部見えるようにこちらに渡し、硬貨を受け取る時には、私はわざと彼女のその広げた掌にいつも触れた。時々冗談に見せて、彼女の指先を握ったりもした。

 彼女はただ笑い、顔を赤らめでもしてくれないかと期待する私の気持ちに、気づかないのかただ受け流しているのか、朴念仁の私にとっては、ひどく勇気のいるその特別な行いは、最後までただの冗談に終わった。


 日銭稼ぎのその仕事を、もちろん一生するつもりはなく、私はようやく客船乗務員の仕事を得て、その会社から去ることになった。

 私には国を出る時に親が決めた婚約者がいて、だが移民をするつもりの私と婚約者は一緒に来る気はなく、一体いつ双方の親に結婚の意志などないと言うべきかと、まれの連絡を取り合うのはいつもその話ばかりの間柄だった。

 私の新しい仕事が決まった頃には、実は婚約者には新しい恋人がすでにいて、親たちは知らなかったが私たちの婚約はとっくに破棄状態だった。

 だからと言うわけではなかったが、新しい仕事のために会社を辞めると決まった時に、私はひそかに彼女に、待っていてはくれないかと、そう言う心積もりがあった。

 言葉つきから、彼女がこの国の生まれでないのは明らかだったし、なら私と同じ移民待ちか、でなければもう移民済みで何の心配もない状態なのか、それすら知らないと言うのに私は内心で彼女と結婚する自分の姿まで思い浮かべていて、今思うなら、若気の至りと言う奴だと苦笑いもできる。


 私が仕事を辞めて、客船に乗る仕事に移るのだと言った時、彼女はおめでとうと言って笑ってくれた。そして同時に、もう会えなくなるのねと、淋しそうに言った。

 好きだと言う気持ちは伝わっているものと思い込んでいた私は──いや、気持ちは伝わっていたのだと、今も信じている。ただそれは、はっきりと口に出せるほど確かなものではなかったのだ。

 私は、この街から去るが、仕事の合間合間には戻って来るから待っていてくれないかと、そう続けて言おうとした気を挫かれてしまった。

 何が私を引き止めたのかは分からない。私は彼女を確かに好きだったし、彼女も恐らく私を好きだったろう。それなのにその時、私たちはそれを口にすることができず、私はたださようならと彼女に言い、彼女も私にさようならと言った。彼女は私に手を差し出し、私はその手を握った。別れの握手だった。

 今までありがとうと、彼女が言う。また明日、とはもう続かなかった。


 私は今でも彼女のことを考える。あれきり、出会った誰かはあっても結婚はしないまま、私はもう家族を持つのは諦めた方がいい年齢になりつつある。

 婚約者は、親たちの反対を振り切って駆け落ち状態で恋人と結婚し、その後子どもを生んで別れて、今は3度目の結婚で4人の子持ちだそうだ。

 彼女のことは、あれきりどうなったのか分からない。客船に乗るために離れたあの街に、私はあれきり一度も足を向けていない。

 彼女もまた、誰かと出会って結婚しただろうか。彼女と同じ顔立ちの子どもたちに囲まれて、その子どもたちに、人には笑顔で挨拶することと、世の中のあらゆるものには魂が宿っていると言うことをあの真顔で教えているのだろうか。

 私の手は、今ではずっとかさついて固くなってしまっているが、彼女のあの手もそうだろうか。

 硬貨を受け取りながら触れた彼女の、私の指先を包み込むように丸まった掌のあのあたたかさを、私は今でもはっきりと思い出すことができる。

 必要だったのは、あのぬくもりと同じほど確かな言葉だった。私はあの時、その言葉を持たなかった。そして今も持たないままだ。

 言葉知らずの私は、それでも彼女の言葉つきを真似て、ありがとうまた明日と、虚空に向かって微笑みを向け続ける。どこかでまた彼女に会えた時のために、私はひとりそれを続けるだろう。

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