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私はパンツ

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 2センチくらいある幅広の腰回りの白いゴムは、私を履いていた主(ぬし)の体の線に馴染んでところどころ伸びている。グレーの地は、何度も水をくぐってくったりよれよれだ。ボクサーパンツと呼ばれる私の、前の主は、私を着けるに正しく男だった。きちんとそれ用に作られた機能を、私を履いて、男である前主(まえぬし)は正しく使用していた。

 私の今の主は女性だ。この女(ひと)は、私の前の主と極めて親密な関係にあり、どれだけ親密だったかと言うと、前主と彼女がふたりきりで何やら忙しい間に、彼女のレースがひらひらした下着と私が、こっそり逢瀬──とあえて言おう──を重ねていたくらいだ。

 ある頃から、私は彼女の下着とまったく逢えなくなり、前主の体温の上昇は、怒りや憤りと言ったような感情によるものになり、そしてある日、私は彼の体から離れてどこかへ放り込まれたきり、しばらくの間日の目を見ることもできなくなった。

 まだ残ってたの。

 久しぶりに、天井から降る明るさを浴びて、私は思わず目──もちろんこの女には見えない──を細めた。以前はたまに私を握ったり掴んだりしていた彼女の手指が、私に、どこか恐る恐ると言う風に触れて、そっと掌の上に取り上げる。

 彼女は、かすかに怒りを含んだような表情を瞳に浮かべて、私からちらりと視線をずらして床の方を見た。そこには、洗濯機の中で一緒によく水流に揉まれた主のシャツたちが何枚がいて、彼女は私とそのシャツたちを交互に眺めて、ひとつ小さくため息をこぼす。

 彼女は私を、元いた場所へ放り、それからシャツをまとめて取り上げると、どすどすけっこうな足音を立ててどこかへ消え、私は一体何がどうなっているのかと、ひとり訝しがるしかなかった。

 すぐに戻って来た彼女──シャツたちはどうなったのか、彼女は空手だった──は、またひとつため息をつき、しばらく私を眺めた後、不意に立ち上がって私をまた取り上げ、自分の下腹辺りへ広げた私をあてがう。

 ま、いっか。

 彼女のつぶやきの後、私は彼女のパジャマや部屋着の入っている引き出しに、きちんと畳んでしまわれ、彼女がひとりでひたすらだらだらしたい時に履かれる、どんな扱いも気兼ねのない、よれよれの短パンとなって生まれ変わった。

 私の腰回りのゴムは、当然ながら新しい主となったこの女の細い腰にはうまくまつわりつかず、本体は丸いお尻をきれいには包み込めず、前立て部分はまったく見向きもされなく──前と後ろを見分けるには必要だと、彼女がつぶやいてはいたが──なった。

 私は、男物のボクサーとしての存在意義をこの新しい主に完全に否定され、一時はハサミやその類いの刃物でも見掛けたら、何とか私をもう使用不能なまでにずたずたに切り裂いてくれないか頼もうと、本気で考えてすらいた。

 その頃は、彼女に履かれても彼女の体に馴染むこともせず、だらりとなった腰回りのゴムをいっそう頑固に重くして、わざとずりずり彼女の細い腰からずり落ちて、そのまま脱げ落ちてしまおうとしたものだ。

 へその下までずるずる下がる私を、それでも彼女はそのたび引き上げて、一体何が気に入ったものか、他にも似たような短パンを持っていると言うのに、私を捨てずに彼女は私を履き続ける。

 洗濯機の中で、他の下着やシャツから聞いたことだが、あの時どこかへ消えた前主のシャツたちは、トイレの掃除に使われた後に洗ってももらえずに捨てられてしまったそうだ。洗濯機の中でタオルに絡みつかれたまま、私はぞっとしながらその話を聞いた。

 そうやって無惨に終わりを迎えた他のシャツたちに比べれば、私の成り行きは天国と言ってもいいくらいの扱いで、結局私は、男物のボクサーとしてのプライドを胸の奥深く──そうだ、私たちにだって胸がある──たたんでしまい込んで、この女の部屋着用ショートパンツとして、新たに生きて行くことを受け入れることにした。

 今日も今主(いまぬし)は、どこかから部屋に戻って来て、疲れたと言いながらきっちりと体を包んでいた服をばさばさと脱ぎ捨て、きれいな下着と私とシャツを掴んで風呂場へ行く。私たちはかごの中に放り込まれ、湯気のただよう生暖かい脱衣所で彼女を待ち、彼女がちょっと古い皮膚でも1枚脱ぎ捨てたようなさっぱりした顔で、ほかほかあたたかい体で戻って来て私たちを身に着けると、彼女と一緒に、何となく自分たちも生まれ変わったような気分を味わうのだ。

 この後、私は主に彼女の丸い尻に敷かれ、押し潰されてもひと言も文句を言わずに、彼女のこの丸い尻を、彼女のショーツと一緒に包み込んで、風呂上がりの体温が下がらないようにできるだけ尽力する。

 今日の彼女のショーツは──パンツと呼んだら以前怒られたことがある──、綿100%の、へその上までしっかり覆うヤツだ。色こそピンクで小花の散る可愛らしい見掛けだが、口が達者で自分の役目──彼女の細い腰と丸い尻をしっかりしっかり包み込んで、腰と腿のゴムが彼女のかよわい白い皮膚を傷つけたり締めつけ過ぎたりしないように──に、彼女の身長と同じくらいの自信と誇りを持っていて、私と一緒に彼女の腰回りをあたためておくのが気に入らないらしい。

 男のパンツのくせに。

 ピンクのパン──ではなくて、ショーツがぶつくさ言う。私のこの役割は、私の選んだことではないのだが、ピンクのショーツにはそんなことは知ったことではなく、一致団結して今主のこの女(ひと)の腰回りをあたためておこうと私が思ったところで、ショーツの方には一向に通じない。

 同じ形の、淡いブルーのショーツはもう少し物分かりが良くて、地味で縁の下の力持ちでしかも全然報われないけど、それでもわたしたちって大事な存在よねと、私に話し掛けてくれる。

 このブルーのショーツは今主のお気に入りなのか出番が多く、私とかち合うことも多々あった。だがそのせいでくたびれ方も早く、そろそろお役御免なのではないかと、卵色のショーツがお揃いのブラジャーとひそひそ話し合っていたのを、洗濯かごの中で聞いた私の心境は穏やかではなかった。

 そうか、私もいずれ、今以上にくたくたになって、トイレの掃除にでも使われて、最期に洗ってももらえずに捨てられるのだろう。そう想像することは決して愉快ではなかったが、こうして第2の人生を生きている私には、もうこれ以上第3の人生を想像することはできず、それならそれでもいいと、格別投げやりでもなく考えるのだ。

 それでも、捨てられる前に、どうしても果たしたいことがあった。私は、今主と前主が楽しげに一緒にいた頃時々逢った、とてもきれいな深緑のレースのショーツに、どうしてももう1度逢いたかった。

 レースの繊細な重なりが、私のみっちりと詰まった、そのくせぺらりと頼りない生地を撫で、言われなければそこにあるとは分からない細いゴムの部分が、私の幅広の機能一点張りのゴムの縁をなぞり、人の体に沿わなくても充分に美しい彼女の輪郭を、さらに縁取る細いリボンが、平たく放り出されて抜け殻みたいな私の、立体感を取り戻す手助けをしてくれる。

 私は深緑の彼女が好きだった。我々はあまりに違い過ぎて、私の気持ちはきっと思い上がりも甚だしかったろう。それでも私は、彼女の、くしゃりと丸まって床にあってもその美しさの一向に損なわれないのに深く憧れ、いつだって洗剤の香りの爽やかな彼女の、ちょっと乱暴に扱えばすぐに引き裂かれてしまいそうな華奢なつくりの、生地の複雑な織りのざらりとした感触が私の上に重なるのに、至上の幸福を味わったものだ。

 ピンクやブルーや卵色や薄紫の、生地面積の大きいショーツたちと共に今主の腰回りを包み込む間に深緑のレースのショーツの彼女を恋いながら、同時に私は、深緑のレースの君と、2度と再び逢うことはないだろうと心の底では知っていた。

 今の私は、今主がひとりきり、完全にリラックスするために履かれる部屋着用の短パンだ。そんな私が、彼女が特別な時にだけ履く深緑のレースの君と一緒に履かれるなどと言うことは有り得ない。

 洗濯かごの中でさえ、私たちはもう再会することはないだろう。深緑の君には、特別の引き出しと特別の洗剤と特別の洗われ方と特別の干し場と、そして特別の機会こそが相応しいのだ。

 今の私は、ただの部屋着のよれよれショートパンツだ。私が下着のままなら、前主に履かれているままなら、深緑のレースの君と再び相見えるチャンスもあったろう。彼と彼女が会わなくなってしまった今、私の恋も一緒に終わったのだ。

 洗われて干され、乾いてから丁寧にたたまれ、パジャマや私と同じ程度にくたびれたシャツと一緒の引き出しにしまわれながら、私はひそかに振り仰いで、深緑の君のいる引き出しはどれだろうかと、狭まる視界の中に必死に探す。私の声が届くはずもないのに、レースの君が私の声を覚えているかどうかも確かではないのに、私は諦めきれずに、特別の君との再会を夢見ている。

 そうして私は、今主が新たに親密な時間を過ごす人を見つけて深緑のレースの君を身に着ける時が来たら、きっと消し去りたい記憶のひとつとして、彼女が私を真っ先にここから出して捨てるだろうことを知っている。

 今主は、まだ前主を完全に忘れてはいない。私が深緑の君を決して忘れられないように、彼女も彼を忘れてはいないのだ。

 彼女が私を履き続けているのは、私が彼の皮膚に直に触れていたからだ。彼女がそうして彼に触れたように、私も近々と、彼に触れていたもののひとつだからだ。

 私の特別の君が直に触れた彼女の丸い尻を、ショーツを隔てて私も包み込む。私が、直には触れられないこの尻は、深緑の君に近々と触れていたのだ。私に直に重なるこのショーツ──感触は、似ても似つかないが──が、深緑の君だったらと想像しながら、私はもう遥かに遠いレースの君の記憶に、心を寄り添わせてゆく。

 引き出しの中の闇の底で、パジャマのボタンに尻の下辺りを押されながら、私はどうか深緑の君の夢が見れますようにと祈る。夢の中で、せめて、彼女に逢えますようにと祈る。今主が時々、前主の夢を見て、どこかなごんだ表情で目を覚ますのと同じように、私も明日の朝、晴れ晴れと目覚めますようにと、引き出しの中で祈る。

 今ではすっかり今主の腰や尻の丸みに馴染んだ私の体は、実は深緑のレースの君と輪郭が似つつあるのだが、もちろん私はそんなことには気づかない。

 気づかなくていい。私にとって深緑の君は、永遠に特別で、永遠に私とまるきり違うパンツなのだから。彼女はほんとうに、特別なパンツなのだから。私の愛する、特別の中の特別の、素敵なパンツなのだから。



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