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外国語

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 彼女と私は、この国ではどちらも外国人だった。

 この国の言葉を互いの間の共通語として使い、私は彼女の母語をまったく解さず、それは彼女の方も同じことだった。

 「悪い言葉はすぐ覚えるから。」

 彼女はそう言って、ほとんど頑なに私に彼女の母語を教えようとはせず、彼女が私の前で母語を使う機会など皆無だったから、相変わらず私は彼女の母語に無知なまま、彼女も私の母語をあえて習おうと言う気はないらしく、お互いに共通語だけを使って(幸いに私たちは、その言葉にそれなりに長けていた)互いを理解する。


 それでも、互いにどこかで拾って来た知識で、私たちの母語は巨大な大陸とわずかな海を隔てているにも関わらず、言語的には文法が似ている同士だとか、文化も何となく似ているところがあるとか、互いの歴史を紐解いて、交差する部分は古代へ逆戻りしなければならない遠さだと言うのに、そんなことすら私たちの間では、私たちが恋に落ちた理由の、大きなひとつのように思えた。

 私はそんな風に彼女に恋し、彼女の方はと言えば、常に笑みを浮かべてこちらを慰撫するような態度で、それが彼女の国の人々の評判のように、声を荒げることもなければ私を押さえつけようと言う素振りもないまま、手応えのなさをまれに物足らなく思うこともあったが、私はそれを、彼女に大切にされている証拠だと素直に信じた。


 彼女は自分の友達といる時には、私に気を使ってか友人たちに対しても共通語を使って話し、それは恐らく、彼女の国の人間たちの数が、この国では圧倒的に少ないと言う、一種の肩身の狭さのようなそんな理由もあったのだろう。

 不思議なことに彼女らは、少人数で群れはするのに、いわゆるコミュニティと言うものを作ろうとはせず、この国へ来ても大半が移民が目的ではない彼女の友人らは、この国へ根を下ろすための土台をほとんど必要とはしていなかったようだ。

 私はと言えば、先にここへやって来た家族親戚知人の類いを頼り、ほとんどもぐり込むようにこの国へやって来て、自国で得た知識や学歴などはまったく意味を失ったゼロの状態で、まずは生活を築くことが先決と言う、充分な金を持たない誰もが一度は落ちる底へ落ちて、そこから這い上がる途中だった。


 私は幸いに大学へ入り、それなりの職も得て、同国人のコミュティを適当に利用しながら、真面目な青年らしいと言う扱いを受けていたが、ただひとつ、私が外国人の、しかもこの国の人間ではない彼女とわざわざ付き合っていると言う点が、コミュニティの人間たちを苛立たせていた。

 自分の娘や妹や姉や従姉妹と言う、私と生まれ育ちが同じ、同じ言葉を使う女性たちをひっきりなしに目の前に差し出され、私が自分の国(正確には、村である)にいれば、それを拒むことなどできなかっただろうし、差し出された彼女らにも拒む権利などないはずなのだが、ここは幸いに私たちの国ではなく、気に入らなければNoと真っ直ぐに言うことが許される土地だ。

 不思議なことに、私たちは、そのYesとNoを自らの意志で選べると言うことを理由のひとつとしてこの国へやって来たはずなのに、相変わらず私たちの一部の心の中は自国へいた時のままで、結局はその自由を自分自身が享受するのは構わないが、他人が享受するのは受け入れ難いと言う、愚かな頑迷さはなかなか消すことができないらしい。


 そんな中でも、幸いに、彼女の国の人々は私のコミュニティでは評判の良い方で、私が彼女との将来を真剣に考えていると言うことは忌々しくても、彼女本人の人柄は比較的簡単に受け入れられ、私と彼女が結婚前でいる限りは、私の人たちは、彼女をひとまずな仲間のようなものとして受け入れていた。

 前述の、私たちの文化が少しばかり似ているとか、言葉の成り立ちの流れがどこかで繋がっているとか、政治的に恩恵を受け取り合ったことがあるとか、前の戦争時(私の祖父母たちの世代にとっては、大変重要なことだ)の関わりが比較的薄かったとか、彼女は私の人たちにとっては、近しくもあり遥か遠くの国の人であり、その微妙な距離のおかげで、彼女の国と彼女の国の人たちは、私たちの敵ではないと言う辺りへ都合良くきれいに納まっていた。


 私は、私の知人友人と話をする時には遠慮なく自国語を使い、彼女はそれに対していやな顔はまったく見せず、私たちの会話へ割り込もうとしたこともない。

 この国の言葉にまだ慣れていない私の人たちは、自然彼女に話し掛けることを遠慮することになるが、それを無視と取ったりすることもなく、彼女は常に穏やかな笑みを浮かべて、ほんのわずか距離を置いて、母語を使って会話する私たちをただにこにこと眺めている。


 ある時、彼女が突然彼女の母語で私に話し掛けた。ひとり言かと思った私はそれには驚いただけで訂正も反応もせず、その日の夕食の買い物の途中だったから、私はただ目の前の棚を見上げて、彼女は何を買うのかと考えていただけだった。

 そしてまた、彼女が何か言った。共通語ではなく、彼女の母語でだった。

 「なに?」

 「何でもない。Yesって言ってくれたらいいの。」

 「何を言ってるかわからないのにYesとは言えない。」

 「そう?」

 彼女は心底愉しそうにけらけらと笑い、意味の分からなさに戸惑って、それが不機嫌になって表情に出た私を、またおかしそうに笑った。

 それから、何かあると彼女は私に向かって彼女の母語で何か言うようになり、最初はひとり言めいていたのに、少しずつ明らかな話し掛けになり、最初はただ戸惑うだけだった私も彼女のその気まぐれに少しずつ慣れ、とうとう彼女がそうやって何か言うたび、わけのわからないまま、私も、YesとかNoとか、あるいはそう思うそう思わない、と言うような反応を返すようになった。

 そしてある日ついに、その日私は多分疲れていて、頭の中が混線していたに違いない。彼女の母語を一体どんな風に聞き取ったのか、何を考えもせず、彼女に答えるために口をついて出たのは、私の母語だった。

 私は、自分が何をどう答えたのか自覚もなく、彼女はきょとんと私を見て、そうしてやっと私は、自分が共通語ではなく母語で彼女に反応したのだと気づき、自分の馬鹿さに思わず顔を真っ赤にした。

 その私に、彼女が、彼女の母語で何か言った。とても優しい、共通語を使う時よりも自然な発声の、少し高く幼く響く、彼女の、心の中心を撫でるような声だった。

 私は彼女を見つめて、今度はしっかりと意識して自分の母語で反応し、彼女もまた彼女の母語で私に言葉を返して来た。


 彼女はひそかに私の母語を学習して、もしかしたら私や私の友人たちの言うことを、実はきちんと理解していたのかもしれない(そう信じているわけではないが、可能性の話だ)。

 それほど自然に素直に、彼女は私の母語に、彼女の母語で反応した。正しい反応かどうか、そんなことは重要ではなく、その時私は、私たちがとても気持ちを通じ合っていると、心底感じたのだ。

 言葉の内容ではなく、正確な言葉のやり取りではなく、私たちはただ声とその調子だけで、どれほど彼女が私を大事に思っているのか、私がどれほど彼女を好きか、それを伝え合えたのだ。

 買い物が終わるまで、私たちは何度も、それぞれが自分たちの母語を使って言葉を交わした。文字通り、私たちはただ"言葉を交わした"のだ。

 

 私たちは恐らく、周囲に反対されてもこのまま結婚するだろう。

 今の問題は、私たちの間に子どもが生まれた時に、どこでどう育て、どの言葉を家族の共通語にするかを決めなければならないことだ。

 私が彼女の国へ行くか、彼女が私の国へ行くか、あるいはこのままこの国にとどまって、3人の外国人が寄り集まった家族を作るのか。

 そんなことを楽しく想像しながら、私は今、彼女の母語をきちんと学習することを、ひそかに真剣に考えている。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0) | トラックバック (0)

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