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特別な人

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 私は時々Honeyと呼ばれる。良くある親しみの表現で、女性同士でも家族の間でも恋人同士でも、特別と言えば言えるし、誰をそう呼んでもさほど支障はない、無難な親愛表現とも言える。

 私自身に関して言えば、特別と言う振りをして、結局は前の恋人の名前と言い間違えないようにと言う、極めて現実的な措置なのではないかと、こっそり考えている。

 もちろん、今私をHoneyと呼ぶその人に向かって、冗談でもそんなことは言わない。


 彼は私を色んな呼び方で呼ぶ。Honeyと言ったり、Monkeyと言ったり、Babyと言ったり、私の母語の、その手の恋人への呼び掛けの素っ気なさとは真逆に、どれもこれも甘ったるくて耳障りだけは確かに良く、しかし実のところ、身のない言葉遊びだと言う印象なのは、言葉のせいではなく、その言い方を使う彼本人のせいだ。

 彼が、前の前の人と私の名前を呼び間違えようと、私は一向に構わない。たまたま名前の始まりの音が同じで、その名前も私の名前も、音節の数が同じで、そしてその人は、彼にとっては色んな意味で大事な人だったらしいから、まだ写真がアルバムでたくさん残っていたり、それを彼の母親である女性が必死に私の目から隠したり、私は一向に構わないが、彼らは私が傷つくと思っているようだ。


 別に。私はただ肩をすくめる。


 彼の母上は、私をSweet Heartと呼び、時折もっと甘ったるくSweetieと呼び、彼の妹は、Honeyを短くしたHonと言う呼び方をすることもある。彼女のHonと言う発音は、鼻に掛かってとても優しげで甘くて、彼女のそう呼ばれるのが、私は一番好きだった。

 彼にそんな風に呼ばれると、なぜだか鳥肌が立つのに。


 前の人がたくさんいると、名前を覚えたり間違えたりしないようにするのが大変なのだろう。第一、一体いつまで続くかわからないのだから、覚えるのが無駄だと考えていても不思議はない。

 さて、私と言えば、そんな呼び掛けには当然馴染みはなく、幾らされても自分がすることはない。バスの運転手に、良い1日をSweet Heartくらいに言われて、思わず肩をすくめてしまうことはあるが、そう呼ばれようと呼ばれまいと、基本的に、私にとっては何の違いもない。

 そう呼び掛ける人がいれば、Friendlyな人なのだと思うだけだし、決してそういう風には言わない人は、ああ親しい人をきちんと選んでいる人なのだと、そう思うだけだ。


 私をHoneyだのBabeだの言う彼を、私はBuddyと呼んでいる。短くして、Budと言うこともある。乱暴に言えば、ダチ公!くらいの言い方だろうか。

 色気のかけらもない言い方なのは百も承知だ。彼に対する親しみの、精一杯の表現ではあるが、彼を、いわゆる恋人と呼ぶことすら抵抗のあるほど、こんなことに不慣れな私が、彼をHoneyと呼び返したりDarlin'(これは彼の母上のお気に入りだ)と呼んだりすることができるわけもない。挑戦する気もない。

 彼をBudと呼ぶ時に、私はことさら声を低くして、まるで彼の男友達たちがそうするように、彼の肩を叩いたりもする。


 彼にも誰にも秘密だが、私にはもう、過去にHoneyと呼んだ人がいる。私はその人を、今も心の中でHoneyと呼び続けている。

 出会った頃には20半ば手前だった彼は、数万人の前でギターを弾く人だった。私は彼に憧れ、彼のようにギターを弾けたらと願い、彼のように音楽を生み出せたらと、常に夢見ていた。

 私は、これ以上ないほどの敬愛を込めて、彼をひそかにHoneyと呼び、彼にはもちろんきちんとした名前があったが、私はずっと彼をHoneyと勝手に呼び続け、彼が姿を消してしまった後も、彼は私にとってはずっとHoneyであり続けた。

 私にとってのHoneyは彼だけであり、それが単なる親愛の呼び掛けなのだとしても、私にとってのHoneyは永遠に彼ひとりであり続けるのだ。

 彼以外の人を、私はHoneyと呼ぶべきではないのだ。


 私をHoneyと呼ぶ彼に、これまで何人Honeyがいたのか、これから何人のHoneyが現れるのか、私は知らない。その時々でBabeになったりSweet HeartになったりするそのHoneyの、その内何人を彼がきちんと名前でずっと覚えているのか、恐らく私には関係のないことなのだろう。

 私は、ある意味彼にとって特別な人間ではあるが、それほど特別と言うわけではない。彼はこれからも、何人もの人をHoneyと呼び続けるだろう。私は彼以外の人を、BudとかBuddyと呼んだりするかどうか、今はよくわからない。

 Honeyと呼ばれる私は、私と言う人格の中では珍しい存在ではあるが、それは私に決定権のある存在ではないから、いつ消えてもおかしくはない。私に決定権のない私の人格のひとつと言う、この中途半端で根無し草のようなHoneyと呼ばれる私を、多分私はあまり自分に親しい存在だと思っていないのだろう。私であることは間違いがないが、私であると確固と言い切る権利を、私自身が持たない私だからだ。


 だから私は、他の誰も、Honeyとは呼ばない。私のHoneyは、ギターを弾く彼だけなのだ。私のHoneyはこの世にただひとりであり、私が消えても、私のHoneyである彼はこの世に存在し続ける。

 彼が、私が彼をHoneyと呼んでいることを知らなくても、私が彼をHoneyと呼び続ける限り、彼は私のただひとりのHoneyであり続ける。

 彼は私のHoneyであり、彼は私がそう呼ぶ唯一の人であり、私の中で彼の名にはHoneyがすでに含まれてしまっている。

 私はギターを弾くこの彼を、そんな風に愛しているのだ。


 私や他の人をHoneyと呼ぶ彼は、もちろん私にとって特別な人ではあるが、私がHoneyと呼ぶ彼の特別さには残念ながらかなわない。

 私はそんなことは一言も漏らさず、彼をHoneyと呼び返さない理由を説明することもせず、彼をBudと呼び続ける。それが私にできる、特別な彼への精一杯なのだ。

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