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皮膚

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 誰かの素肌に触れることは、とても素敵なことだ。

 手を繋ぐこと、頬に触れること、頭を撫でること、抱き合うこと、口づけること、もっと直裁に、誰かと寝ること。

 特定の誰かがいるならいちばんいい。その人に触れたいと思うことは、世界に許されている。その人が触れてもいいと言ったなら、いつでも触れることができる。それはとても素敵なことだ。


 特定の誰かでなくてもいい。たまに会った知人友人、抱き合うことの許される相手。たまたま出会った子ども。頭を撫でてもいいだろうか。機嫌のいい赤ちゃん。訊けば多分、頬をつついても許される。泣かさない限り。

 誰かと触れ合うのは素敵なことだ。誰かと手を繋いで歩けるなら、それはとても素敵なことだ。

 雨の日に傘ひとつを分け合って、それを口実に肩を寄せ合って、雨と湿った空気といつもよりも見通しの悪い視界のおかげで、ひっそりと傘の下の空間に、大切な人と閉じこもっていられるのはとても素敵だ。


 挨拶代わりでもいい、あるいはもう少し親密でもいい、口づけられる相手がいるなら、それはとても素敵なことだ。頬や髪や手や指や肩や首や、あるいは唇や。

 誰かの体に腕を回す。腕の長さは足りないかもしれない。余ってしまうかもしれない。相手の体は冷たいかもしれないし、あたたかいかもしれない。思ったよりも柔らかいかもしれないし、想像よりも硬いかもしれないし、案外骨張っていたり、案外ふわふわと頼りなかったりするかもしれない。

 抱き合ってじっとしているのは案外苦痛かもしれない。いつ腕をほどこうかとか、もうちょっと力をゆるめてくれないかなとか、もう離れてもいいだろうかとか、意外と雑念の混じるものかもしれない。

 見た目ほどロマンティックではなくても、それでも誰かと抱き合うことは素敵だ。

 腕の輪の中に誰かの体を収め、あるいは誰かの腕の中に自分の体を収めて、心臓の音や体温を限りなく近くする。相手を、そこへ寄せることを許し、相手に寄ることを許される。それはとても素敵なことだ。


 皮膚に隔てられた人間たちは、他人のその皮膚に触れることを渇望し、それは恐らく、その皮膚の消滅を願ってのことなのだろう。

 皮膚を失くし、そこに現れる粘膜や筋肉や血管や臓器は自分のものではなく、それでも、誰かとひとつになるために、それを隔てる皮膚を、まず失くすことを願わずにはいられない。

 皮膚は、人間たちを個にし、世界と他の人間たちと分け、「自分」で在ると区別をつける。個は孤独に繋がり、孤独を恐れて、人は他人の皮膚を恋い慕い、自分の皮膚を厭う。

 自分を自分たらしめている皮膚を、人はある時憎み始め、剥ぎ取ることを夢見て、それは、孤独への怨嗟の声でもあるが、皮膚を失くしたところで孤独が失せるわけではないと、気づくのは皮膚を剥ぎ取った後だ。


 自分の皮膚を剥ぎ、誰か──欲した誰かの皮膚をまとう。そうして、自分ではない誰かを、皮膚を失くした自分の上に重ねて、自分と誰かが融合したような気分にはなれるのだろう。

 自分と誰か。ひとつのもの、と言う錯覚。

 私とあなた。あなたと私。ふたりはひとつ。


 そんなはずはないのに。


 だからこそ、自分ではない誰かに触れることは、とても素敵だ。

 私は自分の皮膚を剥ぎ取っては生きてはいられないし、誰かの皮膚を剥ぎ取って、身にまといたいとも思わない。

 世界と他の人とを隔てるこの私の皮膚は、私と言う存在の外側を造り、それを他人に晒し、彼ら彼女らに、私と言う人間を各々認識させる。

 世界にとって、私は皮膚だ。

 皮膚を剥ぎ取られれば死んでしまうだろう私は、死んだ後には肉と骨の、元は人間だった生き物の残骸となり、それはもう私ではない。しゃべり、考え、書き、誰かの皮膚に触れたいと願った私ではない。皮膚を剥ぎ取られた私は、私ではない。


 そんな大事なものを、私は、誰かに触れさせて欲しいと思う。誰でもいい時もある。通りすがりに、ふと触れた肩や、転んだ後に差し伸べられる手や、そんなものが、私の世界、つまり私の皮膚をひと時あたためてくれる。

 あるいは、特定の誰かと、どこかへ閉じこもり、特殊な触れ方をしたいと思うこともある。剥ぎ取れない皮膚の代わりに、服を脱いで、交換できない皮膚の代わりに、服を交換して、そんな風に、特定の誰かの皮膚に、触れたいと思うこともある。

 世界は皮膚に満ちていて、けれど触れられるのはほんのわずかだ。世界中に敷き詰められるほどの皮膚に触れたいわけではなく、ごく少数の、大事な人たちの皮膚に触れてみたいと思う。


 手を繋ぐのは素敵だ。指を絡めて、掌を合わせて、歩きながら時々肩をぶつけて、剥ぎ取った皮膚を交換するよりも、それはとても健やかな触れ合い方だ。

 誰かの素肌に触れること。誰かに自分の素肌を触れさせること。自分の皮膚を憎まないこと。誰かの皮膚に執着しないこと。世界にあふれるありとあらゆる皮膚を、素敵だと思うこと。


 あなたの膝小僧と、あなたの背中に、いくつ傷があるか、私はいつか数えてみたい。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0) | トラックバック (0)

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