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紅茶、コーヒー、カプチーノ

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 私は紅茶には砂糖は入れない。ミルクを入れて飲む。

 お茶を淹れる楽しさを教えてくれた友人が、それこそ大きなマグの底に大量の砂糖を入れている私を見て、

 「そんなに甘くしないと甘く感じないなら最初から入れなければいい。」

と、諭すようにも咎めるようにも、あるいは単なる感想として、そう私に言った。それ以来、私は紅茶に砂糖を入れるのをやめた。


 父はコーヒーしか飲まない。母は父が淹れたコーヒー以外は、日本茶ばかり飲んでいる。世間的にはただののろけだが、父が淹れたコーヒーがいちばん美味いのだそうだ。

 私の両親は酒は飲まず、飲むための酒が家にあったことはなく、おかげで私は酔っ払いを生ではほとんど見たことがない。

 酒の流れかどうか知らないが、私は炭酸飲料もほとんど飲んだことはなく、いまだ好きでもない。コーラの類いは、私には悪魔の飲み物のように思える。あの口と喉を攻撃して来る泡の凶悪さと言ったら。

 父はなぜかコーラが好きで、量は飲めないが、ちびりちびりと冷蔵庫から出して飲んでいたのを覚えている。


 私がコーヒーを飲まないのは、なかなか美味いコーヒーに出会えないからだ。今までに数回、まるでワインのように香りの良いコーヒーを飲んだことがある。

 私はどちらかと言えば、酸味の強いコーヒーが好きらしく、残念ながら紅茶のように砂糖を入れずには飲めないが、それでも自分好みのコーヒーに出会えば素直に天にも上る気分になれる。

 コーヒー通の父へは、実のところコーヒーの飲めない申し訳なさを感じているが、それを口にしたことはない。父のコーヒーは、残念ながら私の好みではないのだ。


 さて、5年ほど前、私は突然カプチーノを飲み始めた。砂糖も入れずにだ。

 一体何が起こったのかよくわからない。振り返って見れば、その頃カプチーノマシンを買った知人が、やたらと人を招いてはカプチーノを振る舞いたがり、常に暇と思われていた私は誘われる機会が多く、

 「コーヒーの類いは飲みません。」

とはっきり断るのは気が引ける程度の知人だったから、最初はやや無理をしてそのカプチーノを飲んでいたのだが、回数を重ねるうちに、あの濃さに慣れたのか気に入ったのか、同時期にゆるゆると流行り始めていたいわゆるカフェまがいのコーヒーショップへ、自分で足を踏み入れるようになった。

 その後は、カプチーノがきちんとメニューにあるカフェを見つけては味を試しに入り、機械が置いてあっても、作る人間が作り慣れているとは限らないことがほとんどで、残念ながら、常に一定のレベルの味を提供してくれることが期待できるのは、大手チェーンのコーヒーショップと言うのが現実だ。


 それより少し前に、カフェモカと言う、手っ取り早く言えばコーヒーとココアを混ぜたような飲み物に出会い(本場の本物はそんなものではもちろんない)、ひと頃やたらとその安っぽい甘さが気に入って、そればかり飲んでいた。

 このカフェモカは、安っぽくならとことん安っぽく作った方が、きちんと"甘くて"美味い、と言う飲み物で、インスタントコーヒーに、すでに砂糖の入った安いココアを贅沢に入れて、後は適当に混ぜるだけ、と言うやり方がいちばん美味しいように私には思えた。

 きちんとコーヒーを豆から挽いて淹れたり、練ればきちんと美味しくなるココアを使ったりすると、途端にニセモノであることばかりが強調される味になってしまう、不思議な飲み物だった。


 なぜか急にカプチーノ好きになり、大抵飲みたくなるのが深夜過ぎで、そんな時間にカプチーノをきちんと淹れてくれるカフェなど開いてはいないし、そんなわけで、私は自分でカプチーノを作り始めた。

 最初は安いカプチーノマシンを買って、しかしこれは手入れが意外と大変で、狭い台所で場所も食う。そして作った後にきれいにしておく手間が面倒になり始めた頃、こちらの心変わりを見抜いたように突然動かなくなってしまった。

 こちらから膝を折ってプロポーズをした相手に、性格の不一致で離婚を言い出すような、そんな後ろめたさで、私は割りとさっさとこの機械を処分し、またカフェ通いを始めた。

 やはり自分で作るよりは、こうして店で飲んだ方が美味いじゃないかと、月中に財布の中身がとんでもないことになるまで、私は新米のアル中患者のように、急性カフェイン中毒を非常に軽く扱っていた。


 収入の何分の一かを、カプチーノに費やす財力はなく、そうして私は再び、自分でカプチーノを淹れると言うことを決心し、前回の失敗を踏まえて、今度はいわゆる直火式のエスプレッソメーカーを購入した。店で飲むカプチーノ4杯分の値段だった。

 エスプレッソ用のコーヒーを買って来て、店の真似をして本物のホイップクリームも買い、泡だったミルクは自分で作れないこともなかったが、妥協してただ温めたミルクにした。見た目は少々違うが、カプチーノもカフェラテも、飲んでしまえば大した違いはない。

 一緒について来たマニュアルに従って、言われた通りの量のコーヒーを入れて、火の上に乗せておけばそれでいい。湯気がどこかから大量に吹き出て怖い思いをすることもないし、機械ではないから壊す心配もない。終わった後で分解して洗うのも簡単だし、経年劣化は部品を取り替えればいい。

 イタリアの家庭には必ずひとつある台所用品で、20年から30年同じものを使っている家庭も珍しくないと、そんな記事もどこかで読んだ。


 その後、このエスプレッソメーカーを使って、本物のチョコレートシロップ(チョコレート風味、ではなく)を買って来て、限りなく私の頭の中では完璧に近い(と信じている)カフェモカも作るようになった。

 もう、夜中の2時にカフェモカが飲みたいと思っても、店まで行く算段をつけたり、そもそも開いている店があるのかと心配する必要がなくなった。

 そして、いつでも好きな時に飲めると思うとそれほど執着も病的ではなくなり、カフェイン中毒もやや治まった。


 これをいずれ実家に持って帰って、恐らく飲みたがるだろう母に振る舞っても良いかと考えているが、それは父の気持ちを傷つけるかもしれないと考えもする。

 紅茶しか飲まず、コーヒーの類いは、父が淹れても飲まないのに、突然カプチーノなら飲めると言い出すのは、わかっていてもずっと、

 「コーヒー、飲むか?」

と、淹れる前に必ず私に訊く父に、非常に悪いような気がする。

 「ううん、いらない。コーヒーは飲まない。」

と言うのが私の常の返答だった。


 父が、エスプレッソの類いを好むかどうか、私は知らない。そもそも父が、そういう種類の飲み物があると知っているかどうかも知らないのだ。

 コーヒー好きの父のおかげで、私は喫茶店と言う空間を好きになり、美味しい紅茶を出す店を見つけることができ、稀には好みのコーヒーにも出会い、そして今は自分でカフェラテを淹れて飲むこともある。

 いっそ父のコーヒーと私のエスプレッソと、交換して飲んでみると言うのはどうだろう。

 父のコーヒーに砂糖を入れるのは冒涜な気もするが、さて、どんなものだろうか。


 煮出した後で冷やしたジャズミン・ティーが、私のこの夏のお気に入りだ。

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