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膚と背中

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 男が、切羽詰まった様子で私に触れて来る。飢えているような手つきで、男の飢えが、自分とは違う女の体に対してなのか、自分ではない他人のぬくもりになのか、それとも私個人と言う、とりあえずは取り替えの利かないことになっている、特定の誰かに対するものなのか、男の指先を受け入れながら、私はいつも考えている。


 好きと嫌いで言えば、好感の持てない相手に触れられることなど我慢できず、だから私は、この男のことが好きには違いなかった。

 女に慣れていない風もないのに、女と女の間が長くなれば、それなりに物珍しさと飢餓が湧くのか、男の態度は夢中のそれだ。

 とは言え、それにあっさり自惚れるほど私も自信過剰ではなく、どこと言って取り立てて綺麗でもなければ、変わったところもない自分に、あえて自慢できる部分と言えば、触れた誰もその場で声を失う膚だろうか。


 触れる最初に、男はいつも私の服をとにかく剥ぎ取ろうとし、女の服の常で、ボタンだジッパーだホックだと、あれこれうるさいものがついていて、決して不器用でもないらしい男の手を毎回煩わし、静かになった後で、そんな小物のいくつかがどこかへ消えてしまっていることも珍しくはない。

 おかげで私は、裁縫セットをそっと持ち物のひとつに加える羽目になった。


 私の膚を剥き出しにする。そうして男は、自分の着ているものを引き剥がすように脱いで、肌と肌を触れ合わせる。冷たかったり、あたたかかったり、思いがけない体温に驚いたり、あるいは汗に湿っていたり、やすりにでも触れたように乾いてざらついていたり、自分の膚に触れても何と思うわけもないが、男の肌に触れるたび、その微細な変化に気づいているのは私の方だけなのだろうか。

 私の肌に触れて、男は何を思うのか。それが優しさのつもりなのかどうか、歯を立てたり乱暴な跡を残したりは決してしない男の、微笑みを誘う思いやりに、全裸で男と触れ合いながら、私たちは一向に心の内の本音をさらけ出そうとはしない。

 内臓や筋肉や血管で触れ合うのは無理にせよ、ほとんど1枚のそれになりそうに肌を近づけて、息や体液を交換し合っているのに、私たちの心は一体どこにあるのか、こうして抱き合う理由すら、私自身のそれすら定かではないまま、男は明らかに私と寝ることを望んでいて、私は男の素肌に触れることを愉しんでいる。


 素肌──正確には、完全なる素の素肌ではない──の手触りに、男の暮らしが現れている。時々大きな傷跡が触れ、飾りではない日焼けの名残に、かさつきの激しい部分のある、肩や首筋の辺り。顔の皮膚は決してなめらかではなく、男の頬に掌を当てながら、時々私は、意地悪ではなくやすりに触れているようだと思うことがある。

 男の肌が私の肌をこする。傷つきそうで傷はつかないやり方で、私の全身の肌をこすり上げて、その間に空気がたまり、抜け、汗が湧いて滑る。

 曲げれば筋肉の形がはっきりと浮かぶ腕が、私の首を抱え込んで、ほとんど絞め殺すように──二重の意味において──私の体全部を抱きしめて来る。


 男が私を絞め殺そうとすると、私もお返しに男を絞め殺そうとして、全身をたわめて、ゆがめて、ねじって、深く切り過ぎないようにいつも気をつけている足の親指の爪の先で、男のアキレス腱の辺りを引っかいてやる。

 痛みに、男は一瞬だけ我に返り、下にいる私に向かって目を見開き、そうすればこれが私だと確認できるし、私を自分の下に引き留めておけるとでも言うように、私の左の乳房をつかみに来る。

 時によってはひどく痛むその仕草に、私は眉根を寄せて、男はその私の表情を、何やら別のことに勘違いする。その勘違いを、私は修正もしない。どれだけ近く触れ合っても、私の痛みは私だけのもので、男の感覚は男だけのものだ。

 与えられる痛みを、男に伝える術などなく、男が私の中で感じていることなど、私には知る術はない。

 こうして、世間的には愛──読んでも書いても言っても、感情をこめられない言葉だ──と言われる風に私たちは抱き合いながら、互いのことなど何も知りようがない。


 男は私と寝たがり、私はそれを拒まない。好きと嫌いで言えば、私はこの男が好きなのだろう。男の素肌に触れる。私はそれが好きだ。

 それだけが取柄らしい、私の柔らかな膚。男の、かさついたぶ厚い指先が触る。皮膚の下にももぐり込みたそうに、指先を押し付けて来る。男の指先の形を肌の上に感じるたび、私は男の指先が、私の血管に触れることを想像する。

 感心なことに、男は私に触れる前にはきちんと爪を切り揃えて来る。やや短いと思うくらいに、丸くきれいに切って、そんな切り方をしては、切られた爪の端で皮膚を傷めてしまいそうなくらいに、男は癇症に爪を切って来る。

 その男の指が、私の中に入って来る。腿の内側に触れて、他の部分よりも薄い柔らかなその膚に、男が時々息を詰めるのがわかる。

 私の中も、首筋や背中の膚と同じように、柔らかくて張りつめていてほのかにあたたかいのだろうか。私には分からない。触れている男にしかわからない。


 男も私も、互いのことなど知りようもないと同じほど、自身のことも分からない。私の背中を見れるのも、私の寝顔を見れるのも、男だけだ。

 同じように、男の寝言を聞けるのも、うなじから短く刈った髪の中へ消えている、異様なその傷跡を見れるのも私だけだ。

 不思議なことだと、私は思った。


 もしかすると私は、男を通して自分を見たくて、男と寝ているのかもしれない。男は、私を通して自分を知りたくて、私と寝ているのかもしれない。

 貝殻骨と、古い言葉で言われる、自分の肩甲骨の形など、きちんと知っている人間がどれほどいるだろう。男の下でうつぶせになりながら、私は考える。固く盛り上がるその骨に、男が掌を乗せる。男の掌の感触に、胃の表側まで突き通されながら、私は、男が滅多と見せてくれない裸の背中のことを考える。

 男は、私を隅々まで見ているのに、私はそうではない。なぜだろう。無我夢中に見えて、いちいちじっくりと私を眺めているとも思えない男の方が、私の体の隅々まで知っている。

 私はと言えば、見上げるにせよ見下ろすにせよ、あるいは正面からは見えないにせよ、常に見るのは男の体の前面だ。

 男が背中を隠しているわけではない。こうやって抱き合う時に、私にはどの男の背中も、あまり眺める機会がないと言うだけのことだ。

 服を着ている時なら、こんな風に暗い部屋ではなく、昼間の太陽の下で会うなら、私が眺めるのは男の背中ばかりだと言うのに。


 男の背中に掌を伸ばす。触れる。肩甲骨の形を探って、指先と掌に、それを視(み)ようとする。男の背中の表情を、見ないまま視ようとする。

 筋肉に薄く埋もれた背骨。腕が動くたび、上がったり下がったりする肩甲骨。意外に厚い肩と太い腕。見掛けよりもしっかりとした、腰の辺り。脚を絡めて、私は男を引き寄せる。

 男を絞め殺すために、私は腰をよじった。そうしながら、両手で男の顔を覆い隠した。乱れようもない短い髪の間から、汗が滴り落ちて来る。それを瞬きもせずに私は見ている。


 男の背中が伸びて丸まり、短く切った息がついに止まる。二の腕を、男がつかんだ。男の節の高い指が、どこまでも沈み込んでゆく、私の腕の膚。

 汗に濡れた男の首筋を、揃えた指先で撫でる。まだ正気に戻らない空ろな男の目に瞳を凝らして、私は下から首を伸ばした。首筋から背中へ腕を滑らせる。唇を開く。私がまた殺した男へ、ねぎらいのために、体の他の部分に比べればやや乾いた感触の唇で、やすりのような男の頬へ触れる。

 私に殺されたがる男は、見せない背中をけれど私の腕に預けて、伸びかけたひげを気にしながら、私のなめらかな頬にあごをこすりつけた。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0) | トラックバック (0)

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