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"私の場所"

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 書き物をするのに、外に出るのが好きだ。コーヒーショップや小さなカフェ、カフェが閉まった後はバー(騒がしくて下世話なカクテルバーでも想像してもらえれば大体雰囲気は合っている)へ移動して、酒は頼まずに、何かつまめるものとコーヒーか紅茶を頼んで、店の隅の席でノートや本や辞書を広げる。大学の頃の論文書きはいつもそんな風だった。


 家にいる時なら、まずは何か飲み物を淹れて、深刻でもなければ締め切りもない、ただの趣味の書き物なら紅茶を1杯、そうではなくて、頭をかきむしりながら書かなければならない類いなら、大きなポットにたっぷりと紅茶を作る。

 次は音だ。好きなバンドのCDを繰り返し流すか、あるいは何枚か選んでおいて、CDの入れ替えを気分転換のタイミングにするか、そうでなければもう潔く、繰り返すのは1曲だけにして、1日中書き物が続く限り同じ曲を延々と流し続ける。


 PCを普段使いにするようになるまで、当然ながら書き物は手書きだった。紙とペンはこれでなければならないと、何か儀式のように、特に大学の論文書きの時は決まった道具しか使わず、清書の時に読み解くのに苦労する乱れた字をちまちまと走らせる。

 PCで清書すると、どんなに下らない論説もそれなりに筋の通った、何か高尚な文章に見えるのがありがたく、紙の上の自分の字はとても読めた代物ではなかったが、PCで清書が済めばそれはともかくもりっぱな"論文"とやらになり、教授のところへ提出してしまえば、私は自分の書いたことをきれいさっぱり忘れてしまう。


 あまりに静かだと、私はかえって集中できない性質(たち)で、適度な人込みのざわめきの中にいて、逆にその中で自分を孤独へ追い込むのが好きらしい。

 学生の頃、お気に入りの喫茶店があった。夫婦でやっていたその店は、いつも流行りからは少しだけずれたタイプのポップスが流れていて、紅茶の種類が多く、食事も美味しかったから、私はそこへ行けば1時間は居坐ってあれこれと下らない書き物をしていた。

 手紙もあれば、小説もあった。批評文のような、そんなものも書いていた。薄く色のついたルーズリーフにB4のシャーペンを滑らせて、右手の小指の下が真っ黒になるのに気づきもせず、私は週末の午後を、一心不乱に紙と文字に向き合って過ごす。ただひたすらに、愉しいだけの時間だった。


 外で書き物をするのに、面白いことに、人がいて椅子とテーブルがあるところならどこでもいいかと言うとそうでもなく、何箇所か試したのだが、今の私のいちばんのお気に入りはスターバックスだ。これもどこのスターバックスでも良いわけではなくて、大きなテーブルが、まるで食卓のように置いてあって、同じように書き物や調べ物の作業をする他の客と場所を分け合うような店が一番好みのようだ。

 その次は図書館だ。ここは当然ながら、飲み物の持ち込みに気を使う(しっかり蓋の閉まる、倒れても中身のこぼれない携帯マグを持ち歩いている)のが少々欠点だが、当然ながら作業用の机は広々としているし、気分転換に手近にある本に手を伸ばすこともできる。

 ただ、今時は普通にネットに繋がっているPCが置いてあって、ついそちらへ気持ちが行ってしまい、結局目当ての作業はしないまま家に帰る、と言うことも時々起こる。


 フードコートは気に入らなかった。騒がし過ぎるし、そこにいる人たちと、私の書き物をする時の波長が合わないようだ。食べることではなく、作業をすることがまずは主目的の人たちが多い方が、私の気分もそれに添うらしい。

 たかが趣味の雑文書きに、あれこれとうるさいことだ。私自身もそう思う。


 食べることが主では気が散るはずなのに、そう言えばもうひとつのお気に入りにマクドナルドがある。

 私はファーストフードにはまったく興味がないが、マクドナルドはそこそこエスプレッソ系のメニューに力を入れていて、私のアパートメントからはとにかくもバス1本で10分弱で行ける(もっとも、バス停まで同じくらい歩く)場所にそれぞれ1箇所ずつあり、書き物の雰囲気に添う方はなぜかコーヒーの味が今ひとつで、雰囲気が今ひとつの方はコーヒーの味が好みだ。どちらに行くか、気分次第だがいつも迷う。

 雰囲気が好みの方は、仕切りの壁の傍にひとり掛けのテーブルがあり、部屋の隅に近いのでそこへ坐ると少し小さな空間へ閉じこもったような気分になれるのだ。家族向けの場所では、ひとり掛けのテーブルは大抵空いているのがありがたい。

 もうひとつの、コーヒーの味が好みの方は、店の規模は半分以下なのにひとり掛けのテーブルがひとつもなく、ひとりで4人掛けを占領することになり、少し忙しい時間だと肩身が狭い。作業を進めてから退散しようと思うのに、気持ちが挫けて中途半端に席を立つことがたまにある。


 こんな風に改めて考えると、私は書き物を理由に外に出て、自分の小さな居場所を見つけたいのかもしれない。残念ながら外に見つけるそんな場所は、どれひとつ恒久的なものではないが、何となくいつ行っても私を快く迎えてくれるような、そんな気がする場所なのかもしれない。

 私は昔、そんな居場所を"私の場所"と称していたこともあったが、私はいまだ、同じことをしているのかもしれない。


 自分の部屋でPCに向かい、何か書こうとエディタを立ち上げる。エディタはできるだけ軽い、起動の早いものだ。ただ文章を打つだけで、余計な装飾はいらない。

 時々、思い出したように、何か新しいエディタでも出てはいないかと検索を掛ける。見つけてインストールして試してみても、結局は使わないまま終わるのが常だが、そうやって探す作業が楽しいのだろう。

 外に出る時は、かのポメラを持ち出すが、そのうちタブレットや小さなノートPCの類いでも手に入れてみようかと、考えてはいる。恐らくキーボードの感触が気に食わずに考えるだけで終わることが目に見えているが、これもまた考えている時がいちばん楽しい。


 今は、Brenda Boykinの"Love is in Town"を繰り返し流して、彼女のCDはどれを買うべきかと考えながらこれを打っている。

 結局外には出なかった週末がそろそろ終わりに近づいて、月曜日がやって来る。来週また手を着けたいあれこれのことを思い浮かべて、それが予定だけに終わらないように心の中で祈る。

 さあ、6月だ。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0) | トラックバック (0)

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