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娼館の客 3 (了)

返信

 私はこれと心に決めて取り上げたマニキュアの小さなびんを鏡台の上に戻し、別の、体中に塗るローションのびんを取り上げて、すっと娘の足元へ膝を落とす。

 私の仕草に驚いて、素早く椅子の下へ逃げ込んだ娘の足を、無遠慮にその足首をつかんで引き出し、私は床にすっかり坐り込んでしまうと、娘の爪先を自分の膝に乗せ、振り出したローションを掌の間に軽く広げて温め、それから、バスローブの裾を大きく割って、娘の足に塗り始めた。

 そんな必要があるとも確かめはしなかったが、肌がいっそうなめらかになるならその方がいい。骨張った膝小僧が私の目の前で線の固さをを増し、娘が他人の手に触れられ慣れていないのを感じながら、この子は生娘だと私は心の中でひとり決めつけていた。

 足の指の間にも自分の指先を差し入れ、娘の肌に好きに触る。膝裏の青白さを、見ずに指先にだけ感じさせて、私は今まで誰にもしたことのない──もちろん、どの客にも──丁寧さで、娘の肌をなめらかにすることに没頭する。

 腿の、きわどい辺りまで裾をまくり上げた時には、さすがに娘ははっとそこに手を置いて、それ以上は脚とその奥が見えないようにして、それでも私の滑る手にはまったく逆らわず、もう片方の脚も同じように私が撫で上げるのを、相変わらず無表情に眺めていた。

 両足ともが終わると、私はまた立ち上がり、今度は娘の胸元を開こうとした。さすがにそれには一応抗って、娘は胸を腕で抱え込むようにして、

 「今度は何だ。」

と私に訊くので、

 「ドレス、胸元も背中もむきだしだから。」

 見えるはずの皮膚は、すべて手を入れるのだと、私は手短に伝えてやる。

 「背中も?」

 「そう。」

 娘の、手入れをしていないのに形の良い眉が寄る。わずかに浮かんだのは、戸惑いではなく嫌悪のようだった。裸にされ、風呂に入れられ、あれこれいじくられるよりも、人前に裸の背中を晒す方が嫌なのか。不思議な考え方だと私は思った。あるいは兵隊と言うのは、ごく自然に無防備な姿を隠すように、訓練で叩き込まれているのかもしれない。

 娘は瞳だけを上下に動かして、納得はしていないが諦めた様子で、私の目の前で椅子から立ち上がった。そして椅子の後ろへ立って鏡に背を向けると、背中がすべて出るようにバスローブをはだけ、前も、乳房だけは隠れるように両手で覆い、首筋と肩の力を抜いた。

 私は、まるで生け贄のような娘の前へ回り、また掌にローションをたっぷりと出して、娘の首筋へ触れた。

 ぴんと張った肌。どれだけ指を押しつけても、隙なく弾き返して来る、確かに若い肌だ。この肌を、むしろ下着やドレスで覆い隠すことが惜しくなって、私は娘に向き合って、つい無言になる。

 骨の形の目立つ肩。鎖骨の窪み。二の腕には筋肉の形がはっきりと見え、そこには柔らかさは期待できそうになかったが、皮膚の自然の照りが、何もかもをどうでも良くしている。

 胸のふくらみの始まる辺りへ掌を乗せ、私はまるでこの娘の客がそうするだろうように、娘の不意の柔らかさを愉しんでいる。下から、娘自身の掌で軽く持ち上げられ、そうしなくても意外な大きさの丸みが、娘の組んだ腕の奥からあふれそうになっていた。

 しっかりと閉じられた脇へも指先を差し入れ、腕の内側にもローションを塗り込み、私は上目に、娘の引き結ばれた唇の線を見ている。辱められていると感じているに違いないその唇が、湯の熱が冷めたせいかあるいは私の、やや不埒に動く手のせいか、わずかばかり色が失せ、けれど震えてはいないのを、私は内心舌打ちしながら眺めていた。

 私は意地悪く、鏡を避けた娘の肩を押して体を回すように促し、今度は背中に掛かる口実で、娘の姿を鏡の方へ向けた。

 半裸に剥かれた自分の姿をそこに認めて、さぞかし恥じ入るだろう。美しくされると言う言い訳で、まるで人形のようにあっちを向けこっちを向けと動かされて、それとも命令に従うのは、もう習い性になっているだろうか。私はほとんど舌なめずりしながら、娘の薄くて細い肩越しに、娘の表情を盗み見た。

 私の予想に反して、娘は真っ直ぐ顔を上げ、鏡の中の自分の姿から目をそらしてはいなかった。ほとんど挑むように、むしろ盗み見をする私の視線を素早く捕らえ、何の感想も浮かんでいないその瞳の色が、私を射抜いて来る。その真っ直ぐさを受け止め損ねて慌てて顔をうつむけたのは、私の方だった。

 突然ドアがノックされた、今まで一切口出しせずに私たちを眺めていた女主人は、くるりと体の向きを変え、急ぎ足にそちらへ向かってゆく。ドアの外の誰かから私たちの姿を遮るように、わずかに開けたドアの隙間で短いやり取りが交わされた後、女主人は私たちを振り返り、

 「なるべくすぐ戻って来るけど、後はお願いね。」

 妓たちだけでは済まない客が誰か来たらしい。女主人はもう少しだけドアを開き、猫のようにするりと体をすり抜けさせて、そこから姿を消した。それさえ優雅な足音の気配が、よく磨かれた床の上を滑り去ってゆく。私はその小さな音に3秒耳をすませた後で、娘の背中の上で手を止めた。

 「坐って。」

 これでこの娘とふたりきりだ。私は一体何か自分でもわからない、ひりつくような期待に、喉の奥が急に乾いて、舌が上あごに張りついて動かなくなるような心持ちだった。

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染み

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 私は、膿と二酸化炭素の詰まった皮膚の袋だ。

 時折、皮膚のどこかを破って中身を洗い流してしまいたいと思うが、洗い流したいそれを、一体どこへ捨てたものかと思案する。人(少なくとも私と言う人間)が粗大ゴミか不燃ゴミの日に外へ出しておけないのはほんとうに不便だ。

 皮膚と肉と骨と内臓でできた、人間と呼ばれるものも、ゴミ箱の中に溜まるゴミと何が違うのかと、私は時折思案する。腐って土に還るまでには腐臭と融けた体を撒き散らし、焼けば灰にはなるが、燃料と時間の無駄ではないかとも考える。いっそどこか埋立地に、ぎちぎちと埋めてはもらえないだろうか。


 頭を振ると音がする。からからと、干乾びた私の脳が、頭蓋骨の中で転がって音を立てる。灰色の、皺もない死に果てた細胞だったものの成れの果ての、実を結ばない何かの果実の種のような、私の小さな脳髄だったもの。

 頭蓋骨の下の私の体の中には、膿が満ちている。可哀想な私の白血球が必死で闘い、死んだ後に残したものが、私の体をたぷたぷと満たす膿だ。

 憐れな白血球は、何と闘ったのだろう。ただおとなしく、血管の中を運ばれていればよかったものを、何を相手に、そんなに一心不乱に闘ってしまったのだろう。私の体をすべて膿で満たし、色の失せた皮膚の下でたぷたぷと満ちて揺れるだけだと言うのに。溜まった膿はどこへも出て行かず、ただ溜まってゆくだけだ。


 生きるために呼吸をしては、二酸化炭素を吐き出す。息を止めてしまえればいいが、窒息は苦しいものだ。あらゆることに気概のない私は、窒息すら耐えられない。

 皮膚のどこかを切り裂いて、膿を全部流せばいい。一緒に二酸化炭素も吐き出して、私はただの皮膚の残骸になって、自力では人の形さえ保てないものになれば、ぱたぱたと小さく畳んで、どこかへ放り込んでおけばいい。

 膿と二酸化炭素を包み込むだけの皮膚の袋の私は、自分が世界から隔てられているのをこの皮膚のせいにして、この皮膚が、例えば膿の腐った臭いを包み隠してくれているのだとか、二酸化炭素を抱え込んだ無用の長物未満の存在なのを覆い隠していてくれているのだとか、そんなことには思い至らない。

 私はただひたすらこの皮膚を憎み、その憎しみが間違った対象に向けられていると知りながら、本来の的に憎しみをぶつける恐怖に耐えられずに、私はこの、私の腐り果てた、捨てることさえできない本性を、とりあえずは人に見える形に整え、私に向かう世界の視線(そんなものがあると信じるのは、ほとんど私の妄想だ)を遮蔽してくれている皮膚を、憎んでいる。


 私は間違っているし、この皮膚に深く感謝すべきなのだろう。そして、私の憐れな白血球にも、心から感謝すべきだ。

 皮膚でできたいれものの私は、中に詰まったものが膿と二酸化炭素でしかないことに絶望しながら、けれど他の何を生み出すこともできず、そしてこの中身を捨て去って別の何かを入れ替える術も知恵も持たない。

 私は極めて愚かで、土に還ることもできない汚物で、私は生きていようと死んでいようと、無意味と言う点で一切世界に影響を与えない。私は、生きているだけでこの世界を汚しているが、死んだ後も私の体は世界を汚し続けるし、その汚れが、私を結局無意味未満の存在にする。

 少なくとも生きていれば、私は、私が世界に垂れ流す汚れ具合をコントロールすることはできる。死んだ後の死体の腐り具合は、私にはどうすることもできないのだ。


 私の白血球は、何を相手に闘って、膿に成り果ててしまったのだろう。空っぽの私の中に、一体闘うべき何があったと言うのか。

 あるいは、空のままでは人の形が保てず、それなら膿でも溜めれば少なくとも形は整うかと、その時すでに萎縮していたろう私の干乾びた脳が考えたのか。

 私はもう、自分がひとであった時のことを思い出せない。気がつけば私は、膿と二酸化炭素の詰まった皮膚の袋だった。頭を振ればからからと音がし、そこに脳が詰まった重さがあった記憶はない。

 私は、正確な意味で血も涙もない人間だ。膿だらけの体から血や涙が流れ出るわけはなく、こんな風に思慮もない人間が愚かでもあるのは、すでに生き物としての意味さえ満たしてはいない。

 私は正確な意味で人でなしであり、だから、皮膚の下にきちんと血が流れ、思考するための、真っ当な大きさと重さの脳を持つ人間たちと、繋がれるわけもない。


 皮膚が、私と世界を隔てていると、そう考えるのは私の自由だが、実際に私と世界を隔てているのは、私の中を満たしている膿と二酸化炭素であり、干乾びて使いものにならない私の脳だ。

 皮膚の色でも言葉でも育ちでも何でもなく、私が世界と繋がれないのは、ただ私のせいだ。

 私の皮膚は、白血球と同じほど必死に、私の腐り果てた中身を包み、世界から隠し、私をごく普通の人間に見せようとしてくれるが、この皮膚をただ憎む私は、皮膚にさえ隠せない愚かさを垂れ流して、いっそう世界から遠ざかってゆく。


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投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

娼館の客 2

返信

 女主人は娘に話し掛け続けていて、体のどこのどの部分をどんな風に洗うのか、文字通り手を取り足を取り教えている風景が私の前の前に浮かぶ。私の時にはずいぶんぞんざいだったのだと、それを聞きながら、思い至っていた。

 うなじや首筋は丁寧に、こすらないように、石鹸をたっぷりと使って撫でるように。耳の後ろは、ひりひり痛くなるほど磨き上げる。肘と膝と手足の爪先と足裏とかかともそうだ。手の甲は、そこから手首と指の間も、ほとんど石鹸の香りを塗り込めるようにそっと洗う。

 ここへ来て以来、私たちは頻繁に手を洗うことさえ咎められ、水を使うなどもっての他だときつく言われている。交代で通って来る何人もの女たち──私たちの母親くらいの年齢──が家事の一切合財をし、客たちのために、私たちは生活の臭いなど一切させないように、女主人にそう厳しく躾けられていた。

 あの娘の手はどんな風だろう。戦車乗りだと言ったが、たまには戦車の手入れも自分でするのだろう。機械油にまみれ、ねじや歯車に直に触れ、指先を切ったり掌をすり切らせたり、あるいは痕の残るほどの火傷もありそうだと、私はわざと意地悪く、あの娘の手足や体を、あちこち傷だらけで日焼けだらけに違いないと想像した。

 私は、ふたりが浴室から出て来るのを待つ間、ひたすら大きくて柔らかいベッドの端へちょこんと腰を引っ掛け、そこに並べた装身具のひとつびとつに見入っていた。

 あの娘に合うようにと選ばれたに違いないものたちは、どれも色鮮やかで艶やかだ。あの兵隊の娘に一体着こなせるのかと、私は自分のことを棚上げして考え続ける。帽子をかぶっていたから分からないが、あの娘の髪はどんなものだろう。日焼けして、手触りの悪いちりちりとした髪しか思い浮かばない。けれどそれは私がとても意地が悪いせいだ。

 私の髪は、ぺたりと真っ直ぐで、そのくせあちこちにはねると一向に言うことを聞かない。後ろから、首の辺りへこの髪をまとめて握り、ほとんど手綱のように扱う客もいる。私はそうされるのが好きではなかったが、仕事の最中に客の興を殺ぎ、途中で他の妓のところへ行かれてはたまらないので、私はいつも黙ってそうされている。

 うなじから手を差し入れ、髪の中に指を突っ込み、私は自分の髪をそっと梳いた。手入れだけはきちんとしてある髪は、きしきしと硬い手応えのくせに、するりと指はきれいに通る。この髪を撫でながら、好きだと言ってくれたのはどの客だったか。あの好きは、この髪に向けてのものだったのか、それとも私自身へだったのか、結局訊けないままだった。客の戯れ言を、いちいちそんな風に憶えているほど、私は自分を褒めてくれる言葉に飢えている。

 特にこんなところにいて、四六時中他の妓たちと比べられれば、諦めはしても妬みは全部は消えはしない。分を弁えていると言うことが、すなわち私が自分の全てを受け入れて達観していると言うわけではないのだ。私を選んだ客が、次にも私を選ぶことが滅多とないのが、寒々しい現実を私に見せつける。心のどこかでこの仕事を憎み、私を買う客を憎み、一緒に働いている妓たちを憎んでいる私の、そんな憎悪が表情に出ないわけがなく、ただでさえ不器量の私をいっそう醜くしているのだ。私はそのことに、長い長い間知らん振りを決め込んでいる。何をどうしようと美しくはならない私が、今さら媚びた笑みを必死で浮かべても、それこそ醜いだけではないか。

 私はこんなに卑屈で嫌な女だったろうかと、あの娘に嫉妬していると自覚してからうっかり覗き込んでしまった自分の胸の内に、慌てて蓋をしようと自分の腕を抱いた時、やっと浴室のドアが開いた。

 私は慌ててベッドから立ち上がり、ふたりの方へ体をねじった。

 入った時と同じに、女主人に手を取られ、真っ白いバスローブに身を包んだ娘が、湯に当たって赤く上気した頬で、体があたたまったせいかどうか、どこかなごんだような様子でそこに立っていた。大きなタオルで頭を包み、タオルの先に首が不安定に揺れるのを気にしながら、女主人に導かれるまま、大きな三面鏡の前へ坐らせられる。バスローブとゆるく曲線を描く椅子の脚の間から見える娘の足首は、驚くほどほっそりとしていた。

 私はしばし椅子の背に隠れている娘の体の線に見惚れ、鏡の中に映る娘の剥き出しの素顔に見惚れ、女主人が私を手招いているのに、少しの間気づかなかった。

 「何をしてるの。早くここに来て、準備を手伝って。」

 円い声をやや高くして、女主人に呼ばれて私は我に帰り、慌てて娘の傍へ行った。

 なるほど、私がここへ呼ばれたのは、この娘の髪を整え化粧をするためだ。

 お茶を引くことの多い私は、暇つぶしによく他の妓たちの髪をいじり、爪をきれいにしてやる。利き手の爪をきれいに塗るのは難しいし、髪を後ろから見て映えるようにきちんと整えるのも、鏡があっても限界がある。他の忙しい妓に頼む気にはならず、同じくらいきれいな妓にはやっかみで何をされるかわからないとそんな風に思うのか、誰とも特に親しくはせず、ほんとうに空気のような私──大事な客を取られる心配もない──には、そんなことも気軽に頼めるらしい。ようするに格下と思われているのだと気づいても、私は単純に目の前の妓が、始める前よりも見映え良く立ち去ってゆくのが楽しく、化粧の手伝いをするのは決して嫌いではなかった。

 この程度でも、役に立っているのだと思うことができたし、何より、もし娼婦として働けなくなっても、このまま髪を結ったり爪を塗ったり、そのためにここへ置いてもらえるのではないかと、そんな腹づもりもあった。そういう意味で、この娘を美しく飾ってあの客の前へ再び連れてゆくのは、私には素晴らしい機会だと思えた。

 私は、鏡の前を塞ぐように娘の前へ立ち、娘の素顔を初めてまじまじと眺めた。

 むきたて卵のように、つるりとした頬。少し横に広いが、ふっくらと形のきれいな唇。思ったよりずっと輪郭がはっきりとして、先端がややとがり気味なのが、顔立ちからすればただ生意気そうに見えるはずなのに、この娘の顔の中に収まると、むしろそれは凛々しく清潔に見えて、どれ...


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娼館の客 1

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 その客は、常連ではなかったが金払いの良い、女も丁寧に扱う、評判のいい男だった。

 軍帽も含めて、隙なく軍服を着、足を踏み入れてすぐ、迎えに出た女主人へ礼を尽くすようにその帽子を脱ぐ。やや丸みの強い頬の線に薄い唇、軍人特有の傲慢さがそこに見え隠れして、優しげに微笑みながらそれがなぜか蛇の類いの生き物を思わせるので、私はこの客があまり好きではない。

 客の方も、顔も体もせいぜい人並み程度の私になど、単なる礼儀で視線をくれるだけで、特に声など掛けられたこともなかった。

 私は、自分が場違いな女であることを自覚していた。相場よりもずっと高い金を払って女たちと寝るこの家で、私の顔も体もその金額に見合っているとはとても言えず、それでも女主人は、きれいな女に気後れする男たちもいるからと、私のような女もここへ置き、確かに女主人の言う通り、10人にひとりくらい、誰かに連れられて来てはおどおどと顔も上げられず、その誰かが選んでくれたとびきりの売れっ妓には恐ろしくて触れられないと言った風に、壁際で花ですらなく、空気のようにただ顔を並べている私を選ぶ男もいるにはいた。

 毎日ではなく、数人でもなく、女主人が慎重に選んでくれた男と寝ていれば金がきちんと貯まる、あるいは借金を返せる、ここはそんな家だった。

 客は今日、後ろにひとり、兵隊を従えていた。ふたり一緒か、あるいはこの兵隊に対する特別な褒賞か何かと思っていたら、客に言われて一歩前へ出たその兵隊は、まだ年若い娘だった。

 道理で背も高くないし、ずいぶん華奢だと思っていたが、まさか女とは思わず、それでも嵩張る迷彩服の埃くささを吹き飛ばすように、よく見ればとてもきれいな娘だった。

 ここで働く女たちと同じくらい華やかに着飾った女主人は、コケティッシュな仕草で娘に向かって目を細めて小首を傾げ、その視線は、明らかに売り物の女を品定めする時と同じ目だったが、客は女主人のそんな目の色をむしろ気に入ったように、これも唇の端を上げて満足そうに微笑む。

 娼館に若い女など連れて来て、まさかこの娘はここに売られるわけではあるまいにと、私は他人事(ひとごと)ながら、娘の先行きをひとり勝手に心配する。もっとも、売られるならここは確かに悪い場所ではない。売られる先によっては、地獄のような思いをする羽目になる。

 兵隊のこの娘は、文字通りの地獄を何度も見ているのだろうが、日に何十人もの男と寝なければならない売春婦の地獄と、この子ならどちらを選ぶだろうかと、私は考えていた。

 この客には馴染みの妓と言うのは特にいなかったし、やっと夕方になったばかりのこの時間、客たちが顔を見せるにはまだ早い時間だったから、家の妓たちのほとんどがここに集まって、退屈そうに娘を眺めている。

 「それでは後を頼む。終わる頃に迎えを寄越そう。」

 客はそれだけ言って、女主人とそこへ並んでいた私たちへ軽く会釈をし──何とお優しく礼儀正しいこと──、軍帽をかぶり直してひとり家を出て行った。

 残された娘は、居心地悪そうに表情をいっそう固くし、私たちをじろじろ見るのが失礼と思うのか、あるいは私たちを汚らわしいと思うのか、床のどこかへ視線をさまよわせてまだひと言も発しない。

 女主人は、その娘の頬へ向かって、優雅に、赤く塗った指先を伸ばした。

 「おきれいなこと。兵隊なんてもったいない。ここに来れば、美味しいものを食べて、好きな音楽でも聞いて1日中過ごせるのに。沼の中を這い回って蛭に血を吸われる心配なんて、二度とせずにすむの。」

 どこもかしこも線の円い女主人の声は、見掛け通りに円くて甘い。この声で、何人の女を口説いてここへ連れて来たのだろう。私もそのひとりだ。後悔はあまりしていないが、騙されたと、思っているのも事実だった。

 娘は、女主人の指先を避(よ)けたりはせずに、

 「私は戦車乗りだ。沼の中に入ったりはしない。」

と、頓珍漢に答えた。その言い方に、女主人は思わずと言う風に軽く吹き出して、この見た目通りに生真面目そうな兵隊の娘の、男のような物の言い方を、奇妙よりは新鮮と取ったらしい女主人の頭の中の動きが、私には手に取るように分かる。

 娘は確かにお世辞抜きに美しい顔立ちをしていたし、その声は思ったよりも低かったが、黙っていてもこの仕事はできる。私は、客と寝るよりは余興で歌を歌うことの方が多く(目当ての妓を待つ間に、私に歌わせるのだ)、声だけは褒められることがよくあるが、この娘くらいきれいなら、少々無愛想だろうが言葉遣いで興醒めしようが、金を積んで寝たがる客はいくらでもいるだろう。

 さて、この子はいつから私たちの朋友になるのか。後で迎えに来るとあの客が言ったのだから、今夜今すぐと言うわけではあるまい。

 「とにかく、まずはお風呂に入りましょう。どうせお湯をためられる浴槽なんてものはないんでしょう?」

 からかうように決めつけるように女主人が言うと、娘はちょっとだけ鼻白んだような表情を浮かべたが、どうやらそれは図星だったのか、言い返すことはせずに、そのままおとなしく女主人に手を取られた。

 女主人は、私たちの間をすり抜け、ぎくしゃくと歩く娘を、この家のいちばん奥へある自分の私室へ誘(いざな)ってゆく。すれ違いざま、女主人に目配せされた私は、戸惑いながらふたりの後をすぐに追った。絹のスリッパや皮のサンダルを履いている私たちと違って、娘の足はいかにも重くて固そうな軍靴に包まれ、この家にやって来る客で、こんな風体の者など見たことはないと、私は半ば呆れてもいた。

 他の妓たちは、私たちが去ってゆくと同時に、自分の部屋に戻ったり居間へ行ったり、好き勝手に家の中へ散らばってゆく。女たちの足音も消え、気配だけが長い廊下を伝わって来るその最後の部屋へ、招き入れられた娘の後から私も入り、ドアをそっと閉める。

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苦楽

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 ある年のゴールデンウィーク、私は長編を1本書き上げた。

 長編とは言ってもせいぜい10万字程度の、今なら短編と小声で言うのが精一杯なものだったが、当時の私には充分に長いひとかたまりで、ほとんど日記のように書き継いで来たそれがそろそろやっと終わりそうだから、何の予定もなかったそのゴールデンウィークの間に、どこへも出掛けずに最後まで書き上げてしまおうと、そうやって始まった私のその連休だった。


 どうと言うことはない内容で、ふたりの人間が出会って、ほとんど事故のように恋に落ちて、その理由が前世で実はひとりの人間だったからだと、今読み返したら私は多分その場で自分の墓穴(はかあな)を掘り始めるだろう陳腐さだが、それでも、売ってもまだ余るような若さだけの体力と気力と情熱を傾けて、私はその物語を書き、そしてようやくそれは書き上がろうとしていた。


 こんな風に何かを作った経験があればわかるだろうが、こんな最終段階にはほとんどトランス状態になることがある。

 手を動かして書いているのは確かに私だが、私の頭の中になだれ込んで来る思考は、私のものなのに私のものではないようで、頭の中で綴られているのは私が考える前にすでに存在していた何かで、私はただそれを自動書記のように紙に書き写しているだけだと言うような、そんな状態だ。

 この時、私は生まれて初めてそんな状態になり(小説のようなものを書き上げたことは以前にも何度かあった)、連休の半ばからほとんど飲まず食わず、トイレにすらろくに立たずに、確か仮眠を2、3時間取っただけで、後は60時間程度、不眠不休で書き続けた。

 そして連休最後の日、これは単なる日曜だったと記憶しているが、早朝にこれをついに書き上げて、私は誇張ではなく、天から降って来る光を、自分の部屋の中で見た。


 単に朝になって、部屋の中に朝陽が差し込み始めたと言うだけだったのかもしれないが。


 私は、あれほど清々しく爽やかな気分を、あれ以前もあれ以後も、味わったことがない。

 解脱とか昇華とか、無理に名づけるならそんな状態だったのだろうと、私は考える。

 身体(しんたい)をくるりと裏返し、ごしごしと容赦なく洗い、表に返してまた洗う、そうしてまっさら新品同様になったような私だった。

 額のどこかに穴が開き、そこから外の世界が見える。世界はふた色明るく、ふた色鮮やかで、何もかもが恐ろしいほど透明で、そして完璧さに満ちていた。自分の中の汚れがすべて洗い流され、私の中は完全に空っぽで、そして同時に満ち満ちてもいた。

 恐ろしいほど昂揚した気分のまま、私は部屋の中を歩き回り、何かをせずにはいられず、そうして、どういう順番だったのかもう記憶は定かではないが、とにかくある友人の家へ向かって突然出発した。


 連休前に恐らく友人から聞いていたのだと思うが、その日曜はたまたま友人の誕生日で、私はその誕生日を直に会って祝いたいと急に思いついたのだ。

 どの時点で手に入れたものか、これも憶えていないが、とにかく私は花束を抱えて電車に乗っていた。友人の家までは2時間近く掛かる。事前に友人に電話をしたのかしなかったのか、私はまったく憶えていない。せずに突然の訪問だったのだとしても驚かない。幸いに、友人も私の少々奇矯な振る舞いを、笑って受け入れてくれる人だった(だからこそ、私と親友でいてくれたのだ)から、そのことはあまり問題ではなかった(と少なくとも私は思っている)。


 さて、その行きの電車の中でも、私の興奮状態は同様に続いており、周囲の見知らぬ同乗者たちには私の様子がおかしいのが明らかだったのではないかと、今振り返れば思う。

 私はほとんど覚醒剤使用者のように落ち着きがなく、笑みが絶えず、60時間ろくに眠っていない風体で、服装もぞんざいだったろうし、挙句膝の上には何事かと思うような大きな花束を抱えて、その時私は完全におかしな人だったろうと思う。

 ひとつ憶えているのは、私は落ち着きなく車内を絶えず見回して、そしてある時点で乗り込んで来た年配の女性(60から70くらいと思われた)に、車両入り口に佇むその人へ向かって、車両半ばから大声で声を掛け、自分の席を譲ったのだ。

 私は完全に、楽しく正しく狂っていた。私は完璧に真っ当だったが、あの時の外の世界では、そうは思われなかったに違いない。

 ともかくも幸いにその女性は席に坐ってくれ、私はこれも弾むように席を立ち、弾むように車内を歩き、弾むようにつり革につかまった。警察を呼ばれなかったのは、ただただそこが走る電車の中だったからだ、というただ一点だ。


 無事に乗り換えの駅に着き、友人宅へ向かうために次の電車に乗り、私は相変わらず弾むような飛ぶような足取りで歩き続け、友人の家に着き、まだパジャマ姿で出て来た友人に、

 「誕生日おめでとう!」

と、一言ほとんど怒鳴るように告げて、花束を渡して、明らかに当惑している彼女に何の説明もせず(後で電話で状況を説明はした)、私はそこへほんの2分とどまっただけで立ち去った。

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紅茶、コーヒー、カプチーノ

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 私は紅茶には砂糖は入れない。ミルクを入れて飲む。

 お茶を淹れる楽しさを教えてくれた友人が、それこそ大きなマグの底に大量の砂糖を入れている私を見て、

 「そんなに甘くしないと甘く感じないなら最初から入れなければいい。」

と、諭すようにも咎めるようにも、あるいは単なる感想として、そう私に言った。それ以来、私は紅茶に砂糖を入れるのをやめた。


 父はコーヒーしか飲まない。母は父が淹れたコーヒー以外は、日本茶ばかり飲んでいる。世間的にはただののろけだが、父が淹れたコーヒーがいちばん美味いのだそうだ。

 私の両親は酒は飲まず、飲むための酒が家にあったことはなく、おかげで私は酔っ払いを生ではほとんど見たことがない。

 酒の流れかどうか知らないが、私は炭酸飲料もほとんど飲んだことはなく、いまだ好きでもない。コーラの類いは、私には悪魔の飲み物のように思える。あの口と喉を攻撃して来る泡の凶悪さと言ったら。

 父はなぜかコーラが好きで、量は飲めないが、ちびりちびりと冷蔵庫から出して飲んでいたのを覚えている。


 私がコーヒーを飲まないのは、なかなか美味いコーヒーに出会えないからだ。今までに数回、まるでワインのように香りの良いコーヒーを飲んだことがある。

 私はどちらかと言えば、酸味の強いコーヒーが好きらしく、残念ながら紅茶のように砂糖を入れずには飲めないが、それでも自分好みのコーヒーに出会えば素直に天にも上る気分になれる。

 コーヒー通の父へは、実のところコーヒーの飲めない申し訳なさを感じているが、それを口にしたことはない。父のコーヒーは、残念ながら私の好みではないのだ。


 さて、5年ほど前、私は突然カプチーノを飲み始めた。砂糖も入れずにだ。

 一体何が起こったのかよくわからない。振り返って見れば、その頃カプチーノマシンを買った知人が、やたらと人を招いてはカプチーノを振る舞いたがり、常に暇と思われていた私は誘われる機会が多く、

 「コーヒーの類いは飲みません。」

とはっきり断るのは気が引ける程度の知人だったから、最初はやや無理をしてそのカプチーノを飲んでいたのだが、回数を重ねるうちに、あの濃さに慣れたのか気に入ったのか、同時期にゆるゆると流行り始めていたいわゆるカフェまがいのコーヒーショップへ、自分で足を踏み入れるようになった。

 その後は、カプチーノがきちんとメニューにあるカフェを見つけては味を試しに入り、機械が置いてあっても、作る人間が作り慣れているとは限らないことがほとんどで、残念ながら、常に一定のレベルの味を提供してくれることが期待できるのは、大手チェーンのコーヒーショップと言うのが現実だ。


 それより少し前に、カフェモカと言う、手っ取り早く言えばコーヒーとココアを混ぜたような飲み物に出会い(本場の本物はそんなものではもちろんない)、ひと頃やたらとその安っぽい甘さが気に入って、そればかり飲んでいた。

 このカフェモカは、安っぽくならとことん安っぽく作った方が、きちんと"甘くて"美味い、と言う飲み物で、インスタントコーヒーに、すでに砂糖の入った安いココアを贅沢に入れて、後は適当に混ぜるだけ、と言うやり方がいちばん美味しいように私には思えた。

 きちんとコーヒーを豆から挽いて淹れたり、練ればきちんと美味しくなるココアを使ったりすると、途端にニセモノであることばかりが強調される味になってしまう、不思議な飲み物だった。


 なぜか急にカプチーノ好きになり、大抵飲みたくなるのが深夜過ぎで、そんな時間にカプチーノをきちんと淹れてくれるカフェなど開いてはいないし、そんなわけで、私は自分でカプチーノを作り始めた。

 最初は安いカプチーノマシンを買って、しかしこれは手入れが意外と大変で、狭い台所で場所も食う。そして作った後にきれいにしておく手間が面倒になり始めた頃、こちらの心変わりを見抜いたように突然動かなくなってしまった。

 こちらから膝を折ってプロポーズをした相手に、性格の不一致で離婚を言い出すような、そんな後ろめたさで、私は割りとさっさとこの機械を処分し、またカフェ通いを始めた。

 やはり自分で作るよりは、こうして店で飲んだ方が美味いじゃないかと、月中に財布の中身がとんでもないことになるまで、私は新米のアル中患者のように、急性カフェイン中毒を非常に軽く扱っていた。


 収入の何分の一かを、カプチーノに費やす財力はなく、そうして私は再び、自分でカプチーノを淹れると言うことを決心し、前回の失敗を踏まえて、今度はいわゆる直火式のエスプレッソメーカーを購入した。店で飲むカプチーノ4杯分の値段だった。


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皮膚

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 誰かの素肌に触れることは、とても素敵なことだ。

 手を繋ぐこと、頬に触れること、頭を撫でること、抱き合うこと、口づけること、もっと直裁に、誰かと寝ること。

 特定の誰かがいるならいちばんいい。その人に触れたいと思うことは、世界に許されている。その人が触れてもいいと言ったなら、いつでも触れることができる。それはとても素敵なことだ。


 特定の誰かでなくてもいい。たまに会った知人友人、抱き合うことの許される相手。たまたま出会った子ども。頭を撫でてもいいだろうか。機嫌のいい赤ちゃん。訊けば多分、頬をつついても許される。泣かさない限り。

 誰かと触れ合うのは素敵なことだ。誰かと手を繋いで歩けるなら、それはとても素敵なことだ。

 雨の日に傘ひとつを分け合って、それを口実に肩を寄せ合って、雨と湿った空気といつもよりも見通しの悪い視界のおかげで、ひっそりと傘の下の空間に、大切な人と閉じこもっていられるのはとても素敵だ。


 挨拶代わりでもいい、あるいはもう少し親密でもいい、口づけられる相手がいるなら、それはとても素敵なことだ。頬や髪や手や指や肩や首や、あるいは唇や。

 誰かの体に腕を回す。腕の長さは足りないかもしれない。余ってしまうかもしれない。相手の体は冷たいかもしれないし、あたたかいかもしれない。思ったよりも柔らかいかもしれないし、想像よりも硬いかもしれないし、案外骨張っていたり、案外ふわふわと頼りなかったりするかもしれない。

 抱き合ってじっとしているのは案外苦痛かもしれない。いつ腕をほどこうかとか、もうちょっと力をゆるめてくれないかなとか、もう離れてもいいだろうかとか、意外と雑念の混じるものかもしれない。

 見た目ほどロマンティックではなくても、それでも誰かと抱き合うことは素敵だ。

 腕の輪の中に誰かの体を収め、あるいは誰かの腕の中に自分の体を収めて、心臓の音や体温を限りなく近くする。相手を、そこへ寄せることを許し、相手に寄ることを許される。それはとても素敵なことだ。


 皮膚に隔てられた人間たちは、他人のその皮膚に触れることを渇望し、それは恐らく、その皮膚の消滅を願ってのことなのだろう。

 皮膚を失くし、そこに現れる粘膜や筋肉や血管や臓器は自分のものではなく、それでも、誰かとひとつになるために、それを隔てる皮膚を、まず失くすことを願わずにはいられない。

 皮膚は、人間たちを個にし、世界と他の人間たちと分け、「自分」で在ると区別をつける。個は孤独に繋がり、孤独を恐れて、人は他人の皮膚を恋い慕い、自分の皮膚を厭う。

 自分を自分たらしめている皮膚を、人はある時憎み始め、剥ぎ取ることを夢見て、それは、孤独への怨嗟の声でもあるが、皮膚を失くしたところで孤独が失せるわけではないと、気づくのは皮膚を剥ぎ取った後だ。


 自分の皮膚を剥ぎ、誰か──欲した誰かの皮膚をまとう。そうして、自分ではない誰かを、皮膚を失くした自分の上に重ねて、自分と誰かが融合したような気分にはなれるのだろう。

 自分と誰か。ひとつのもの、と言う錯覚。

 私とあなた。あなたと私。ふたりはひとつ。


 そんなはずはないのに。


 だからこそ、自分ではない誰かに触れることは、とても素敵だ。

 私は自分の皮膚を剥ぎ取っては生きてはいられないし、誰かの皮膚を剥ぎ取って、身にまといたいとも思わない。

 世界と他の人とを隔てるこの私の皮膚は、私と言う存在の外側を造り、それを他人に晒し、彼ら彼女らに、私と言う人間を各々認識させる。

 世界にとって、私は皮膚だ。

 皮膚を剥ぎ取られれば死んでしまうだろう私は、死んだ後には肉と骨の、元は人間だった生き物の残骸となり、それはもう私ではない。しゃべり、考え、書き、誰かの皮膚に触れたいと願った私ではない。皮膚を剥ぎ取られた私は、私ではない。


 そんな大事なものを、私は、誰かに触れさせて欲しいと思う。誰でもいい時もある。通りすがりに、ふと触れた肩や、転んだ後に差し伸べられる手や、そんなものが、私の世界、つまり私の皮膚をひと時あたためてくれる。

 あるいは、特定の誰かと、どこかへ閉じこもり、特殊な触れ方をしたいと思うこともある。剥ぎ取れない皮膚の代わりに、服を脱いで、交換できない皮膚の代わりに、服を交換して、そんな風に、特定の誰かの皮膚に、触れたいと思うこともある。

 世界は皮膚に満ちていて、けれど触れられるのはほんのわずかだ。世界中に敷き詰められるほどの皮膚に触れたいわけではなく、ごく少数の、大事な人たちの皮膚に触れてみたいと思う。

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特別な人

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 私は時々Honeyと呼ばれる。良くある親しみの表現で、女性同士でも家族の間でも恋人同士でも、特別と言えば言えるし、誰をそう呼んでもさほど支障はない、無難な親愛表現とも言える。

 私自身に関して言えば、特別と言う振りをして、結局は前の恋人の名前と言い間違えないようにと言う、極めて現実的な措置なのではないかと、こっそり考えている。

 もちろん、今私をHoneyと呼ぶその人に向かって、冗談でもそんなことは言わない。


 彼は私を色んな呼び方で呼ぶ。Honeyと言ったり、Monkeyと言ったり、Babyと言ったり、私の母語の、その手の恋人への呼び掛けの素っ気なさとは真逆に、どれもこれも甘ったるくて耳障りだけは確かに良く、しかし実のところ、身のない言葉遊びだと言う印象なのは、言葉のせいではなく、その言い方を使う彼本人のせいだ。

 彼が、前の前の人と私の名前を呼び間違えようと、私は一向に構わない。たまたま名前の始まりの音が同じで、その名前も私の名前も、音節の数が同じで、そしてその人は、彼にとっては色んな意味で大事な人だったらしいから、まだ写真がアルバムでたくさん残っていたり、それを彼の母親である女性が必死に私の目から隠したり、私は一向に構わないが、彼らは私が傷つくと思っているようだ。


 別に。私はただ肩をすくめる。


 彼の母上は、私をSweet Heartと呼び、時折もっと甘ったるくSweetieと呼び、彼の妹は、Honeyを短くしたHonと言う呼び方をすることもある。彼女のHonと言う発音は、鼻に掛かってとても優しげで甘くて、彼女のそう呼ばれるのが、私は一番好きだった。

 彼にそんな風に呼ばれると、なぜだか鳥肌が立つのに。


 前の人がたくさんいると、名前を覚えたり間違えたりしないようにするのが大変なのだろう。第一、一体いつまで続くかわからないのだから、覚えるのが無駄だと考えていても不思議はない。

 さて、私と言えば、そんな呼び掛けには当然馴染みはなく、幾らされても自分がすることはない。バスの運転手に、良い1日をSweet Heartくらいに言われて、思わず肩をすくめてしまうことはあるが、そう呼ばれようと呼ばれまいと、基本的に、私にとっては何の違いもない。

 そう呼び掛ける人がいれば、Friendlyな人なのだと思うだけだし、決してそういう風には言わない人は、ああ親しい人をきちんと選んでいる人なのだと、そう思うだけだ。


 私をHoneyだのBabeだの言う彼を、私はBuddyと呼んでいる。短くして、Budと言うこともある。乱暴に言えば、ダチ公!くらいの言い方だろうか。

 色気のかけらもない言い方なのは百も承知だ。彼に対する親しみの、精一杯の表現ではあるが、彼を、いわゆる恋人と呼ぶことすら抵抗のあるほど、こんなことに不慣れな私が、彼をHoneyと呼び返したりDarlin'(これは彼の母上のお気に入りだ)と呼んだりすることができるわけもない。挑戦する気もない。

 彼をBudと呼ぶ時に、私はことさら声を低くして、まるで彼の男友達たちがそうするように、彼の肩を叩いたりもする。


 彼にも誰にも秘密だが、私にはもう、過去にHoneyと呼んだ人がいる。私はその人を、今も心の中でHoneyと呼び続けている。

 出会った頃には20半ば手前だった彼は、数万人の前でギターを弾く人だった。私は彼に憧れ、彼のようにギターを弾けたらと願い、彼のように音楽を生み出せたらと、常に夢見ていた。

 私は、これ以上ないほどの敬愛を込めて、彼をひそかにHoneyと呼び、彼にはもちろんきちんとした名前があったが、私はずっと彼をHoneyと勝手に呼び続け、彼が姿を消してしまった後も、彼は私にとってはずっとHoneyであり続けた。

 私にとってのHoneyは彼だけであり、それが単なる親愛の呼び掛けなのだとしても、私にとってのHoneyは永遠に彼ひとりであり続けるのだ。

 彼以外の人を、私はHoneyと呼ぶべきではないのだ。


 私をHoneyと呼ぶ彼に、これまで何人Honeyがいたのか、これから何人のHoneyが現れるのか、私は知らない。その時々でBabeになったりSweet HeartになったりするそのHoneyの、その内何人を彼がきちんと名前でずっと覚えているのか、恐らく私には関係のないことなのだろう。

 私は、ある意味彼にとって特別な人間ではあるが、それほど特別と言うわけではない。彼はこれからも、何人もの人をHoneyと呼び続けるだろう。私は彼以外の人を、BudとかBuddyと呼んだりするかどうか、今はよくわからない。


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外国語

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 彼女と私は、この国ではどちらも外国人だった。

 この国の言葉を互いの間の共通語として使い、私は彼女の母語をまったく解さず、それは彼女の方も同じことだった。

 「悪い言葉はすぐ覚えるから。」

 彼女はそう言って、ほとんど頑なに私に彼女の母語を教えようとはせず、彼女が私の前で母語を使う機会など皆無だったから、相変わらず私は彼女の母語に無知なまま、彼女も私の母語をあえて習おうと言う気はないらしく、お互いに共通語だけを使って(幸いに私たちは、その言葉にそれなりに長けていた)互いを理解する。


 それでも、互いにどこかで拾って来た知識で、私たちの母語は巨大な大陸とわずかな海を隔てているにも関わらず、言語的には文法が似ている同士だとか、文化も何となく似ているところがあるとか、互いの歴史を紐解いて、交差する部分は古代へ逆戻りしなければならない遠さだと言うのに、そんなことすら私たちの間では、私たちが恋に落ちた理由の、大きなひとつのように思えた。

 私はそんな風に彼女に恋し、彼女の方はと言えば、常に笑みを浮かべてこちらを慰撫するような態度で、それが彼女の国の人々の評判のように、声を荒げることもなければ私を押さえつけようと言う素振りもないまま、手応えのなさをまれに物足らなく思うこともあったが、私はそれを、彼女に大切にされている証拠だと素直に信じた。


 彼女は自分の友達といる時には、私に気を使ってか友人たちに対しても共通語を使って話し、それは恐らく、彼女の国の人間たちの数が、この国では圧倒的に少ないと言う、一種の肩身の狭さのようなそんな理由もあったのだろう。

 不思議なことに彼女らは、少人数で群れはするのに、いわゆるコミュニティと言うものを作ろうとはせず、この国へ来ても大半が移民が目的ではない彼女の友人らは、この国へ根を下ろすための土台をほとんど必要とはしていなかったようだ。

 私はと言えば、先にここへやって来た家族親戚知人の類いを頼り、ほとんどもぐり込むようにこの国へやって来て、自国で得た知識や学歴などはまったく意味を失ったゼロの状態で、まずは生活を築くことが先決と言う、充分な金を持たない誰もが一度は落ちる底へ落ちて、そこから這い上がる途中だった。


 私は幸いに大学へ入り、それなりの職も得て、同国人のコミュティを適当に利用しながら、真面目な青年らしいと言う扱いを受けていたが、ただひとつ、私が外国人の、しかもこの国の人間ではない彼女とわざわざ付き合っていると言う点が、コミュニティの人間たちを苛立たせていた。

 自分の娘や妹や姉や従姉妹と言う、私と生まれ育ちが同じ、同じ言葉を使う女性たちをひっきりなしに目の前に差し出され、私が自分の国(正確には、村である)にいれば、それを拒むことなどできなかっただろうし、差し出された彼女らにも拒む権利などないはずなのだが、ここは幸いに私たちの国ではなく、気に入らなければNoと真っ直ぐに言うことが許される土地だ。

 不思議なことに、私たちは、そのYesとNoを自らの意志で選べると言うことを理由のひとつとしてこの国へやって来たはずなのに、相変わらず私たちの一部の心の中は自国へいた時のままで、結局はその自由を自分自身が享受するのは構わないが、他人が享受するのは受け入れ難いと言う、愚かな頑迷さはなかなか消すことができないらしい。


 そんな中でも、幸いに、彼女の国の人々は私のコミュニティでは評判の良い方で、私が彼女との将来を真剣に考えていると言うことは忌々しくても、彼女本人の人柄は比較的簡単に受け入れられ、私と彼女が結婚前でいる限りは、私の人たちは、彼女をひとまずな仲間のようなものとして受け入れていた。

 前述の、私たちの文化が少しばかり似ているとか、言葉の成り立ちの流れがどこかで繋がっているとか、政治的に恩恵を受け取り合ったことがあるとか、前の戦争時(私の祖父母たちの世代にとっては、大変重要なことだ)の関わりが比較的薄かったとか、彼女は私の人たちにとっては、近しくもあり遥か遠くの国の人であり、その微妙な距離のおかげで、彼女の国と彼女の国の人たちは、私たちの敵ではないと言う辺りへ都合良くきれいに納まっていた。


 私は、私の知人友人と話をする時には遠慮なく自国語を使い、彼女はそれに対していやな顔はまったく見せず、私たちの会話へ割り込もうとしたこともない。

 この国の言葉にまだ慣れていない私の人たちは、自然彼女に話し掛けることを遠慮することになるが、それを無視と取ったりすることもなく、彼女は常に穏やかな笑みを浮かべて、ほんのわずか距離を置いて、母語を使って会話する私たちをただにこにこと眺めている。


 ある時、彼女が突然彼女の母語で私に話し掛けた。ひとり言かと思った私はそれには驚いただけで訂正も反応もせず、その日の夕食の買い物の途中だったから、私はただ目の前の棚を見上げて、彼女は何を買うのかと考えていただけだった。

 そしてまた、彼女が何か言った。共通語ではなく、彼女の母語でだった。

 「なに?」


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あなたとわたし

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 私たちは付き合って日も浅く、お互いまだ若かった。

 互いに好意を抱いていたから、流れで何となく付き合うことになり、毎日会わなければ死にそうだと、そんな風に思う激しさは、少なくとも私の方にはなかったが、代わりに大きな喧嘩も行き違いもなく、ぬるいよりはもう少し温かい湯に常に浸されているような、そんな私たちの付き合いだった。


 結婚しようかと、彼が言い出したのは最近のことだ。言われるたび、私はそれを右から左へ受け流し、いつかそんなことになったらいいねと、笑顔で答えるだけだ。

 私たちは、未来を一緒に考えるにはまだ若過ぎるように思えたし、私は一生を添うのがこの人でいいのかと、正直迷う気持ちもあった。


 話にだけ聞くような、恐ろしいほど激しい恋が世間にあるものと子どものように信じているわけではないが、それでもこの先にそんなものが転がっていて、足元をすくわれるように溺れ込んでしまう、そんな恋がどこかで私を待っているのではないかと、心の片隅で思うことはある。

 その激しい恋の相手がこの人であるようにはとても思えなかった。


 いつものようにいつもの場所で待ち合わせ、今日は一体何の日か人通りが多く、

 「公園の中を通ろう。」

と彼が言うのに手を取られ、私たちは進行方向を変えて、もっと静かな通りへ向かった。

 「何だろうね、あれ。」

 「さあ。」

 私が訊くのに、彼は気のない返事をし、繋いだ手だけはしっかりと握り合って、私たちは何の変哲もない道を一緒に歩く。

 公園はすぐそこで、思った通り小さな林と遊歩道からなるそこには、今日もあまり人気はない。


 静かなそこへ入り込みながら、私はふと、この人との恋はここまでの道とこの公園のようなものなのかも知れないと考え始めていた。

 どこにでもある風景の、どこにでもある道。平たく舗装され、つまずいて転ぶ心配はない。右へ曲がろうと左へ曲がろうと、3本先の道へ進もうと、舗装の具合はどれもそっくりだ。足裏に伝わる感触は、せいぜいが今日選んだ靴が触れる、その感触の違い程度で、道そのものには、感じるほどの違いもない。

 公園は木々の葉が色を変えるとしても、すれ違う人たちはほとんどなく、ただ静かなだけでひたすらに退屈だと、この日の私には殊更そんな風に感じられた。


 私はこの恋に飽き始めているのだろうか。この人と一緒にいることに、すでに倦み始めているのだろうか。結婚すれば死ぬまで一緒にいるはずのこの人との時間を、無感動で単調だと感じ始めているのだろうか。

 彼と手を繋ぎ、遊歩道を歩きながら、私は考え事を続けていた。

 自然にうつむいていたせいか、不意に、遊歩道の両脇に植えられている芝生からぽつんと外れて、小さな雑草が花を咲かせているのが突然目の中へ飛び込んで来る。私は慌てて歩幅を変え、危うく踏むところだったその紫色の花を、辛うじて飛び越えるように避けた。

 その拍子に彼の手を強くつかんだらしく、彼は私の手を上へ持ち上げるように引き上げ、私の唐突な動きを助けてくれた。

 「大丈夫?」

 「うん。」

 踏まずにすんだ花を、私は肩越しに振り返って姿を確かめ、彼の方を見上げた。彼は私に微笑み返し、また手を握って来る。


 遊歩道が終わる手前、また同じ花が、今度は彼の歩く側へぽつんと咲いていた。

 それを見ながら、同じ花の種から咲いたのかもしれないと、さっき自分が避(よ)けた花のことを思い出しながら考えていると、彼は私の方へ半歩寄って来て、私の体を軽く押すようにした。

 そうやって、歩きながら肩を抱き寄せられることもあったから、私は彼の動きを不思議にも思わず、体は少し近づいたまま、寄って来た彼のために私も少しだけ押された方へ動いた。

 そうして歩き続けて、彼はちょうど、足先の半分くらいの距離を開けてその花の傍を通り過ぎ、花の傍らへ足を踏み込みながら、その動きはさっきよりも優しく穏やかな風に私には見え、そして彼は、確かに視線を落としてその花を眺め下ろした。

 通り過ぎながら、彼の視線の位置は花に据えられたまま、彼の顔が横向きに動き、ほとんど肩越しに振り返る形になったところで真正面に戻る。


 私は、彼の横顔を見上げた。


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父娘(おやこ)

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 「××の○○って曲ある?」

 私のCDの棚へ手を伸ばして娘が訊く。

 「CDではないなあ。」

 記憶をたぐって、いつ頃の曲だったかを思い出しながら、確かその曲が出た頃はまだCDプレーヤーを持っていなかったはずだと考えながら答えた。

 娘は大袈裟に舌打ちの音を立て、唇を尖らせた表情を私に見せた。


 「こら! あんたお父さんに。」

 私と一緒に、テーブルの角を囲むように食卓にいる妻が、娘へ向かって叱る声を飛ばす。この手の行儀の悪さにはまったく寛容ではない妻は、娘の、思春期を過ぎてからも続く私に対する態度の悪さを、いまだただの反抗と見ているらしい。

 異性の親と同性の親の違いなのか、私には娘のその類いの態度は親しみのこもった甘えにしか見えず、恋人らしい存在のあったことはあるにせよ、それをわざわざ私の前に連れて来ると言うことをしたことのない娘にとって、私は安全な異性なのだろうと理解している。


 風呂上りに素っ裸で私の目の前を横切り、仰向けに寝転んでテレビを見ている私の顔の上を、わざわざまたいで行くと言うことまでする。娘がどれだけ傍目には性的に恥じらいのない、見せつけるようなことをしようと、私にとって娘は永遠に自分の子どもであり、娘にとっては私は永遠に父親でしかない。

 出会った頃の妻によく似た、いっそう若い自分の娘の素肌を見てどきりとしないこともないが、血の繋がらない職場の若い女性に対してさえもう父親以外の気分では接せられない私には、そのようなことは極めて性的な匂いの薄い出来事だ。

 

 娘は飽きずに、きちんと並べた私のCDの群れの背にほっそりとした指を伸ばして、きれいに磨いた爪の色がやや派手なのは気になるが、そんな仕草を見るたびに私は、ぜひ自分の贈った指輪を着けてくれないだろうかと夢想し始めた頃の、妻の可愛らしい姿を思い出す。

 今では水仕事ですっかりその可憐な手も荒れ、青く血管が浮き、皮膚の張りもないその手を、だが私はいまだ人目のないところでそっと自分の手に取り、指の腹で撫でる。

 昔は私の指を弾き返すようだった弾力は失せ、私の指が動くにつれ引きつれるように波打つ薄くなった皮膚は、だが昔より柔らかさを増して、昔とは違ういとおしさが湧いて来る。

 妻が年を取ったように、私も老いているのだ。妻はそれを私に知らせ、娘もそれを知らせて来る。鏡の中に見る自分の顔が、15の頃とさして変わったようにも思えないのに、広くなった額や少なくなった髪の嵩や、もちろん白髪交じりの髪の色も、そんな変化を、ひとりきりだったら自分はどんな風に受け止めたのだろうかと、朝覗く鏡の中の自分の顔の上に時折問いを投げ掛けてみるのだ。


 「全部パソコンに移しちゃえばいいのに。その方が絶対楽だけどなあ。」

 1枚2枚と棚から取り出して、CDのケースを開けながら娘がぼやくように言う。

 テレビ回りと手持ちのステレオ機材は私の領分だが、コンピューター回りは完全に娘の城だ。私はいまだ、コンピューターの電源を切る手順をたまに間違える。

 私が持っている、それなりの数のCDを全部コンピューターに移すのが可能なのかどうかわからないが、やるとなれば作業は娘の担当になる。それがどのくらい時間の掛かる作業なのか、娘にねだられて揃えた我が家のコンピューターで事足りる作業なのか、あるいはそれは、もっと性能のいいコンピューターを新たに買うための、娘の方便なのか。そんなことを考えるのは、現実味がない分案外と楽しいものだ。


 お父さんはあの子にほんとに甘いから。

 妻が時々そんなことを言う。世間の父親に照らし合わせて、私が特に自分の娘に甘い父親だとは思わないが、コンピューターが欲しいと娘が言った時に、私はあっさりと買えばいいと言った。

 恐る恐ると言う風に私に話を持って来た娘は、まずは値段を告げ、それから目的を並べた。正直なところ、ステレオ一式を揃えるのに、ふた月分かみ月分の給料全部を注ぎ込んで私の母である妻を激怒させた私の父(娘の祖父だ)に比べれば、その頃の私のひと月分の給料の半分ほどだった、娘が告げたその金額は大したものとも思えず、私と一緒で、趣味は違うが音楽の好きな娘に対して、私はどこか同志に対する親愛のような、娘に対する父親の親愛とは別の気持ちもあり、それが私をあっさりとうなずかせた要因でもあったと、妻にほんとうに買ってやるつもりかと半ば諌めるように言われた後で、ひとり考えたものだ。

 第一、妻に黙ってステレオを揃えた私の父とは違い、娘は一応は母(私の妻だ)に伺いを立て、お父さんに訊いてみなさいと言われて素直に私のところへやって来たのだから、この素直さと真面目さは親の教育の成果じゃないかと言って、自画自賛もいい加減にしろと妻に呆れられた。



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雨の中の恋

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 私に傘を差し出す彼女の肩はすでに濡れ始めていた。

 折り畳みの小さな傘は、恐らく出掛けにきちんと天気予報を見て、雨が降ると言うのを信じてきちんと用意して来たのだろう、彼女の律儀さを表わしている。

 雨が降ると大声で言われようと、その時に降っていなければ傘を持ち出すことなど考えもしない私とは真反対の、その彼女の優しさは、びしょ濡れになり掛けていた私の、他人への思いやりなどない心をひどく打った。


 彼女が私に、傘の中へ入れと言う仕草をする。傘は、彼女ひとりがやっと濡れずにすむかもしれない小ささなのに、彼女は私にそこへ入れと言い続ける。

 入れば、否応なしに体が近づく。まずそれを考えるのは私の邪念であって、彼女の世界に向けた親切心を、私は心の中でそうやって踏みにじっている。

 小さな傘の下に体を寄せ合って雨をよける。降る雨に覆われ、そして薄暗い昼間、傘の中のことなど外からは見えず、彼女と私はその小さな空間へふたりきりで閉じこもる。

 ふたりきりと思うのは私だけだ。閉じこもると思うのも私だけだ。

 雨の中、傘の下へ頭の半分を差し出し掛けて、私は彼女に恋をしていた。


 彼女のこの、万人に向けられる優しさを、勘違いしているだけだと私は知っている。彼女が微笑むのは、単なる優しさであり、そこには何の特別の意味もないのだと私は知っている。にも関わらず、私は彼女と恋に落ちる。私が一方的に想いを抱くのに、"彼女と"と言うのも妙な言い回しだと思いながら、まだ傘の下へ完全には入らず、私は彼女を見つめていた。


 この雨がやめば、終わってしまう恋だ。あるいは、私は想いを抱(いだ)き続けるかもしれないが、どの道何がどうなるわけもない恋だ。

 行きずりのびしょ濡れの私に、彼女は、自分の小さな傘を差し掛ける。彼女は赤の他人と分け合えるほど優しさにあふれ、私はその優しさを素直に受け取る術を知らない。

 貪欲で傲慢な私は、彼女の優しさを値踏みし、検分し、自分の邪念と隣り合わせに、では彼女の邪念は何だろうと推察する。私に優しさを浴びせて、彼女に何の得があるのだろう。私と傘を分け合って、自分ももう肩や髪を濡らし始めて、彼女は何を求めているのだろう。


 求められて、与えられる何もない私は、ただ彼女に恋していた。目の前の、傘を差し出す彼女をいとおしいと思い、彼女のために、この雨が一刻も早くやむことを願い、そして雨がやめば、彼女はこの場を立ち去れるのだと、そう考えている。

 自力では恋などできない私は、雨の始まりとともに恋に落ち、雨の終わりとともに失恋する。立ち去る彼女の背にせめて、名前を尋ねるくらいの勇気は湧くだろうか。

 雨はまだやまず、私たちは中途半端に濡れながら、傘の円の端と端で見つめ合っていた。

 降り続ける雨の中、私は彼女に恋し続けている。

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秘密

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 交通事故で死に掛けた私は、けれどリハビリ施設ではもっとも損なわれていない患者だった。

 手足が揃い、脳の形も事故前とそれほど変わらず、ともかくも自力歩行ができて他人と意思の疎通ができる私は、もう右腕の肘から先しか動かない心筋梗塞後の患者や、糖尿病で両足を切断した患者や、何が原因か、全身麻痺の少女と、和気藹々とは言い難い夕食を共にする。


 心筋梗塞の患者は、時間は掛かっても器用に牛乳のカートンの上部を自分で開け、そして自力で食事をする。思わず手を出したくなるが、私は黙って自分の食事に集中する。

 自宅へ帰れば、ひとりきりになってしまう人たちなのだ。

 ひとりで歩いて食堂まで来れる私は、今では自分で着替えもできて、床に落ちたものも自分で拾える。排泄介助も必要ない。今日はベッドまで自分で整えた。

 ほとんど寝たきりのひと月の後で、今私が夢に見るのは、自分の家のベッドで眠ることである。


 そうして私は、心の内で、生き延びてしまったことを強烈に後悔している。

 生き延びて、これからも生きようとしている人たちの間で、私は生き延びてしまった自分を嘆き、目も言葉も腕もあることを喜びながら、それでも確実に損なわれてしまった自分のことを嘆いている。

 歩けることを喜びながら、排泄や風呂のたびに看護師を呼ぶ必要がなくなったことを喜びながら、本が読め、療法士と話のできることを喜びながら、私は自分が生きていることを後悔している。


 轢かれたのが私であったのは賢明だ。

 子どもではなく、妊婦ではなく、働き盛りの若者ではなく、脆いお年寄りではなく、適当に若く健康で、世話の必要な子もない私で、ほんとうに良かったと目覚めてから思った。

 そして、事故前後の記憶のまったくない私は、これなら知らずに死ねたのにと、次の瞬間に思った。


 轢かれたのは私であるべきだった。だがなぜ、私は生き延びてしまったのか。

 私の命は、他の誰かのそれと引き換えにできるほど重くはないと言うことなのか。私ひとりの命では、代わりに誰かを救う価値などないと言うことなのか。

 なぜ彼ではなく自分だったのか。なぜあの人ではなく自分だったのか。なぜ、自分ではなく彼女だったのか。

 なぜ、私が生き延びてしまったのか。


 夕食は、いくつかの種類から事前に選べるが、それでも味気はない。こうやって、自分の口と歯と舌と手と指で食事のできることに感謝して、味に文句を言えるのも自力で普通に食事ができるからだ。

 生きると言うのは、生きていることを後悔し、食事に文句をつけ、そう言ったことを心の中に抱え込んで日々を過ごすことだ。

 言葉がよくわからない振りをして、私は最低限の礼儀と笑顔だけを保って、味気ない夕食を口に運ぶ。生きることに正面から向き合っているように見える他の患者たちの、その心根の気高さに圧倒されながら、それを卑屈に隠して、私は硬い肉片を自分の歯とあごで執拗に噛み続ける。

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言葉は脳の中の膿

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 文章を書くと言うことは、呼吸をすることと同じだ。考える必要はなく、気がつけば頭の中に言葉を連ねていると言う有様だ。呼吸ができなければ苦しいのと同様、書けなければ苦しい。頭の中に続々と現れる文章を吐き出す術がないのは、時に七転八倒の苦しみになる。

 何かを生み出すために書くわけではなく、何か善行でも施すために書くわけでもなく、それは単に書くためだけと言う行為で、そこには何の意味も重さもない。呼吸や排泄と同じだ。しなければ死ぬ目に遭う。


 売文と言うような目的もなく、またその技術も知性も気概もなく、ただ呼吸と同じに文章を連ねて、趣味と言うには漠然とし過ぎていて、職業にするにはあまりに浮わついたイメージが強く、そしてこれで身を立てるには、想像を絶する努力と運が必要になる。と言う程度の想像力があるのが、凡愚の何よりの悲しみだ。


 プロの野球選手が、夜中に起き出してバットを振る練習をするとか、どこかの職業作家が月産六百枚(原稿用紙)とか、子どもの頃はそんな話を聞いて、彼ら彼女らの努力と気力の度合いに感嘆したものだったが、今大人になって思えば、あれは努力でも何でもなく、彼ら彼女らは、ただそうしたい、そうしなければならないという衝動に身を任せただけだったのではないかと思われる。

 その衝動がなければ、そもそもプロの域には達せられない。

 好きも嫌いもなく、バットを振らなければ、書き続けなければと、常に背中を押される気持ちがなければ、人とは違う域へなどたどり着けるものではない。

 凡愚の苦しみは、同じ衝動があっても、吐き出すものと形がないことだ。書きたいが、書きたい衝動は背中を押して来るが、空の自分の中からは何も吐き出せない。吐き気があっても空の胃からは、嗚咽とせいぜいが胃液しか出ないのと同じだ。

 それを才能と言うべきかどうかは、あえて知らぬ振りを決め込んで、それでもその衝動を吐き出すために、あれこれの手段を意地汚く使っても来た。


 ある作家は、この衝動を鬼と呼び、背中に取り付いた餓鬼と同じだと表現した。

 私にとっても、この衝動はやはり鬼である。角があるかどうかも怪しい子鬼ではあるが、間違いなく肩の辺りに乗って、私の背を押し続け、耳元でなぜ書かない、早く書けと叫び続けている。

 書かずにはいられない。表現するものがあるなしに関わらず、頭の中に浮かぶ言葉を吐き出さずにはいられない。

 物語らしきものを綴って、あまりの愚鈍に完結さえさせられないとわかってはいても、書き出さずにはいられない。


 言葉は、膿のようだ。脳にできた、あるいは、生まれた時にはすでにあったのかもしれない、脳を損なう傷口から、熱を持って垂れ流れる膿だ。

 傷口は治る様子などなく、乾く暇もなく、膿を流し続けている。それを外に出さねば、ただでさえ嵩の少ない脳が頭蓋骨の中で圧迫されて、いっそう小さく縮こまる。

 私は、生きるために書き続けねばならないと、常に感じている。書けない自分が恐ろしく、書けない自分はゼロ以下になり、最早呼吸すら許されない存在になるのだと感じている。


 そうして一方で、その呼吸代わりに、では大層なものを書いているのかと自問もする。答えは当然否である。

 私が吐くのは、人の呼吸には使えない二酸化炭素であり、これは植物が吸収してくれるので、すべて害で無駄だとは言わないが、私に限って言えば、常にこの世の空気を汚しているような、そんな肩身の狭い思いもしている。

 それでも私は書かずにはいられない。私がこの世に垂れ流しているのが、二酸化炭素と意味も重さもない言葉の連なりなのだとしても、それをやめるわけには行かない。

 私は、そう言った意味で、世間にとっては毒にすらならない害毒であるが、害毒でなくなってしまえば、私は私でいられなくなるのである。

 私が私でいられなくなると言うことは、また世間には何の衝撃もないが、私の世界にとってはそれなりに大切なことなのである。

 私は私で在るために、呼吸のように文章を書き続けるのである。酸素未満の重さと価値の、私の脳の膿である言葉を、垂れ流さずには生きられないのである。

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 私と言う一人称を使った記憶がほとんどない。地元言葉では、いわゆる僕だの私だのと言う表現はなく、地元言葉での人称は、地元を離れた時に使わなくなった。地元へ戻ればその人称を使うが、それ以外の時は少々妙な人称を使う。

 僕と言う人称を、十代の一時使った。これは母が非常に嫌がったのを覚えている。

 私なのかわたしなのかワタシなのか、自分のことを考える時に、字面では恐らくわたしと言うひらがながいちばんしっくり来る気がするのだが、文体も語彙も誰に対しての文章なのかも、その辺りすべてを少しの間忘れて、ここでは私と自分のことを称してみたい。


 長い間、私の普段の生活での人称は「I」である。これは、性別も年齢も社会的立場もまったく何も付加されない、非常に淡白な極めて記号的一人称であり、ごく普通の一人称を、自分の母語である日本語では使用しない私には、ある意味非常にありがたくもある。

 日本語で使用している人称は、初めての人には少々説明が必要な場合があり、そして場合によっては失礼な物言いと取られかねない言葉であるので、なぜそんな面倒臭い人称を使い続けているのかと、自問もすべきかと思うが、普段肉声で使わない人称をわざわざ変更すると言うのも、必要に迫られなければ必要はないのである。


 私は、自分を私と称したことがほとんどなく、現在の私はほとんど常に「I」であり、日本語の便利なところは、私と発言すべき場では「自分」と言う人称が使用可能な点である。

 私が、私と言う人称を拒否し続けたことにそれほど深い意味があるとも思われないが、まったく自分ではない一人称や二人称や三人称を使った文章を書き続けて、今になって、では私を使って、私が私である文章を書くと言うのは一体どういうことになるのかと、ふと思ったのが今日のことだった。


 私は長い間私ではなく、他の人称や人称ですらない呼び方で自分を表わして来た。それを少し変え、ついでに私になる私の、私でなくては出て来ない素のようなものを抜き出して、私らしく何か書いてみようと決めた。

 これは私が私になり、私と言う私を理解するために、形になるように表現した上で眺めて理解したいと言う欲求と衝動を現す場である。

 こうやって書き出すことが、私の本音であるのか、相変わらずの小説のようなものの体を取った、何か自己表現のようなものなのか、あるいはまったくの嘘八百なのか、何が出て来るのかは私にもわからない。


 私は、私を私と呼ぶ私をよくは知らない。私を私と呼んでいた私は、私を私と呼びながら、実際はどちらかと言えばわたしであり、しかもそれは、文章を書く時と礼儀を持って大人たちと接する時にだけ使われる、ある意味特別の人称であったので、その頃私と私を呼んでいた私は、あまりに私の実情とは掛け離れた、よそゆきの私であった。

 わたしとひらがなで言うなら、若干は素へ近づけるような気もするが、この場ではあえて私と漢字を使って、私すらよくわからない私と言う私を、ここへ引き出せたらと思う。


 小説かも知れず、散文かも知れず、あるいはただの出来の悪い雑文になるかもしれない。私はただ、書きたいと言う衝動に従って、私と言う私を表わしてみようと試みるだけである。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

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