7/16 |
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たとえ小指の先ほどでもそこから動かなければ、何も起こらないままだと知っている。
物事のうまく進まないことに焦れて、すべて放り出してしまいたくなるが、放り出して後で後悔するのが目に見えているから、何とか投げ出しはせずに、放置もすまいと必死になる。
10字書いて3字消し、消した分を戻して5字足し、結局全部消して最初からやり直す。100字書くのに1時間も掛かって、挙句使い物にならずにまたすべて消す。
手書きなら取り消し線と書き込みだらけで、一体何が書いてあるのか判読不能になるところだ。
ルーズリーフに4Bくらいの芯を使っていた頃は、手も紙面も真っ黒に汚れた。その頃はまだ何とか読める字を書いていたが、今は恐らく自分ですら読めないだろう。すっかりキーボードに慣れてしまい、自分の筆跡もよく思い出せない。
冬になるとキーボードを使う指がかじかむが、手書きだった頃もそうだったろうか。冷蔵庫よりも寒い部屋にいた頃、吐く息が白いことがあったのを覚えているが、指先の冷たさをどうしていたか覚えていない。
そうやって現実逃避しながら、目の前の進まない作業に焦れて、今日は結局ここで手を止める。進んではいる。遅々としてだが。
今日頼りにならなかった自分が、明日頼りになるとも思えないが、明日の自分がきっと何とかしてくれるだろうとさらに現実逃避して、今日の残りは別の作業をしよう。
紅茶のお代わりのために、私は椅子から立ち上がる。書き掛けのそれに、まだ心を残しながら。
7/15 |
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朝、ヨーグルトを口にしたきりだった。
外出中の私は空腹で痛みを感じ始めている胃を撫でて、家に帰れば冷蔵庫に何かあると、腹の虫をなだめようとした。
1時間は我慢できた。それを過ぎて、まだ家に帰ったらと自分の空っぽの腹に向かって言い続けるのに疲れて、途中でカフェに寄って、ついでに久しく外で飲んでいないカフェラテを楽しむかと思ったのだが、カフェでゆっくりするほどの時間はなく、それについて内心舌打ちをしてから、帰り道の途中で、店内に椅子とテーブルのあるセブンイレブンで、ピッツァをひと切れ買うことに決めた。
イタリア系の、菓子類は好みでないのだが、エスプレッソ系の飲み物とピッツァは美味しいカフェからは幾段も落ちるが、空腹に負けた私にはもうセブンイレブンのピッツァも大した違いはない。
しばらく前にアイスコーヒーを買いに立ち寄った暑い日に、視界の片隅に入れておいた、小さめのドーナッツのことも気になり始める。
空腹と言うのは恐ろしい。店に入ると、ペパロニの載ったピッツァの前を通り過ぎて、私はまずドーナッツの陳列台の前に立った。
記憶の通りの小さくて丸いドーナッツ(真ん中に穴の開いてないタイプだ)がある。ひとつと思っていたのに、白いアイシングにキャラメルソースの掛かったのをひとつ、それからチョコレートのアイシングに同じ色の粒々の掛かったのをひとつ、これは今夜の、夕食の後のデザートにするつもりだった。
それからさらに店の奥へ進んで、アイスコーヒーを買う。フレンチヴァニラは売り切れだ。仕方ない、モカにしよう。Mサイズのカップとストローを取って、脳の溶ける甘さを想像しながら中をいっぱいにする。
甘さの見本のようなそれらを手に、私はようやくピッツァの前に立って、このひと切れをと、ガラスの向こうを指差す。髪の短い、少年のような女性の店員が、これよねと確かめながら、私が指した分を取ってくれた。
レジで会計をしながら、私の頭の中はチーズとトマトソースでいっぱいだ。ここのピッツァは台がパンのように厚く、ひと切れで満腹になるのをちゃんと知っている。
ピッツァの店で買うと、ひと切れが大き過ぎて食べ切れない。セブンイレブンのピッツァは小さめで、ふた切れは無理だがひと切れなら私にはちょうどいい。
味に文句を言っている場合ではない。財布を荷物の中に戻して、私は買い物を両手いっぱいに抱えて、レジの後ろにあるテーブルの方へゆく。
むやみに脚の長い、座面の位置のやたらに高い椅子にやっと腰を下ろし、私はまずひとつため息をこぼした。
ふっくらとぶ厚いピッツァにかぶりつく。歯を立てたところからトマトソースがあふれて来て、甘みのある酸味の後を、チーズの香りが追いかけて来る。ペパロニはちゃんとペパロニの味と歯応えだ。今の私の胃にはこれで十分だ。
目の前のガラスの壁の向こうを、車が走ってゆく。店の表の角に当たるそこにはゴミ箱と灰皿が置いてあって、今は休憩中の店員の女性がふたり、彼女らの友人らしい他の女性がふたり、楽しげに笑い合っている。彼女らの手にした煙草を見て、食後に吸う一服の味わいを、私はピッツァの台をもぐもぐ咀嚼しながら想像する。
台の量に圧倒されて、トマトソースもチーズも口の中の片隅に追いやられ、辛うじてペパロニの、小麦粉からは程遠い食感が今私が食べているのは確かにピッツァなのだと伝えて来る。
最初に行こうかと思ったカフェからは程遠い眺めと口の中の祭典だが、決して悪くはない。空腹がなだめられて、私はいい気分だった。
カフェには歩いて恐らく20分強掛かるが、このセブンイレブンまでは10分程度だ。しかも24時間空いている。夜中の3時にピッツァを食べたくなれば、ここに来ればいい。にせものだが、舌がしびれるほど甘いのを気にしなければ、冬にはパンプキン・スパイス・ラテもある。
もっとも冬の夜には、そんなものを家まで持ち帰れば凍ってしまうのだが。
ピッツァで口の中が乾き、私はモカのアイスコーヒーをひと口すすった。思った通りに、甘い。口と喉の奥全部に、砂糖を塗りたくったような甘さが広がり、しみつく。それでも冷たいそれは、きちんと私の喉を潤し、胃の辺りまで冷やしてくれた。
5分で食べ終わり、もう一度アイスコーヒーを飲んで、私は荷物を手に立ち上がる。
外の彼女たちはまだ談笑と喫煙中だ。その傍を通りながら、煙草の匂いを、私はちょっとだけ懐かしいと思った。
暑い日に、アイスコーヒーはたちまちぬるくなる。カバンの上に載せたドーナッツをちょっと気にしながら、私は足早に家へ向かう。
夕方近いこんな時間に満腹に近くては、夕飯を作るのが面倒になるかもしれない。罪悪感が少しだけ胸の隅をよぎって行ったが、少なくとも胃の痛みは消えている。不健全な買い食いにひとり肩をすくめて、ちょうど青になった信号を見て、横断歩道を渡る。
ストローが、カップの底を吸い上げて、ずずずと子どもっぽい音を立てた。アパートメントが目の前だ。
唇の端に、トマトソースの匂いがまだ残っていた。
楽しい悩み (7/8) |
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少しの間、脳が泥状になるように忙しくて、それがやっと終わったタイミングで新しい本が手元に来た。小説が3冊。一度も読んだことのない本だ。
長編を読み掛けていて、上下の上巻をほとんど読み終わっているところだった。下巻をきちんと読み終わってから、来たばかりの本に手を出すか、それともとりあえず上巻だけを読み終わってから、休憩のつもりで新しい本を読むか。何とも楽しい悩みだ。
さっさと下巻を読み終わってしまうのが読んでいる本への礼儀だとは思いつつも、読み終わるのに少なくとも1日は掛かるだろうし、読書だけに集中できなければ数日掛かるかもしれない。その間、新しい本に触れずに、我慢できるだろうか。
表紙を眺めて、ちらりと裏表紙や内側の折り返し部分のあらすじを読む。一体どんな話なのかと、ぎりぎりまで自分の忍耐を試すようなことをわざとする。
今面白そうだと思うと同じくらい、面白い本ならいいなと、下巻に伸びる手を引っ込めがちに、私は考えている。
1冊は、推理小説家の短編を集めたアンソロジー(最後に収録されている作品の作者が私は好きだ)、2冊目はある海外作家の短編集(同じ作家の別の短編集を何冊か持っている)、3冊目は殺人鬼の話だと言うので面白そうだと思った翻訳ものだ。
下巻にブックカバーをつけながら、私は心の中で、この3冊をどの順番で読もうかと考えている。短編集は、他の短編集が面白かったので面白いに決まっている。アンソロジーはひとりの作家目当てで読む気になったものだが、他の作家の作品も楽しみだ。殺人鬼の話は、あらすじ程度しか分からず、作者についてはまったく無知だから、一体どんな文章でどんな内容でどんな結末なのか見当もつかない。
不特定要素は多いが、1作1作は短く、そして作品の量は多い、まるでバイキングみたいなアンソロジーはちょっとならしにいいかもしれない。
短編集は内容はまったく未知だが、同じ趣旨の短編集をすでに何冊か読んでいて、それが面白かったからこそこれを読もうと思ったのだし、期待の安定度では文句なしに一番だ。
殺人鬼の話は、何もかもまったく分からない。面白いだろうと考えてはいるが、ほとんどすべてが謎に包まれている。
初めて読む本と言うのは、まるでびっくり箱だ。何が飛び出して来るか分からない。予想と期待と、そんなものが自分の中でいっぱいになって、もしかするとそれは裏切られるかもしれないし、あるいは考えていた以上の結果が生まれるかもしれない。
さて、どの本から読もうか。下巻は今3分の1を過ぎた辺りだ。読み終わるのに、後2日と言うところか。
目の前の本(読むのはもう10回目くらいだ)へ心を半分向け、残りの半分は、机の端に積まれた3冊の本へ向け、私の目は紙面の文字を追いながら、同時に脳の中で楽しい迷いが生まれ続けている。
登場人物が何か言っているが、それが一体何のことだったか、数ページ遡って読み返さなければならなかった。
この本を後2日以内に読み終わるために、今はこちらに集中しよう。
無理矢理視界を狭めて、本へ顔を近づける私の口元は、どうしようもなくゆるんでいた。
6/30 |
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明日は遠出で、1日中外にいる。
水分を忘れずにと麦茶を用意して、それから長い1日なので、紅茶ではなくカフェラテをと、そのために少しだけ早起きをする。昼のためにサンドイッチを作り、雨だそうだから傘も追加して、すべてをカバンに詰め込んで、明日の朝を待つ。
半日以上の外出の時は、必ず紅茶かカフェラテを持参するが、どちらにするか、どれだけ持ち出すか、数日前から悩み始める。下らないことだが、考えている時はとても楽しい。
暑い最中に、熱いコーヒーや紅茶はどうかと思いながら、朝早くから冷たいものを飲む気にはならず、眠気覚ましも兼ねて、やはり熱い紅茶かコーヒーを私は用意する。
遊びに行くわけではないのだが、ある意味ではピクニックの気分であれこれ用意してカバンに詰めて、小学校の遠足前夜を思い出しながら私はベッドへ行く。
明日のカフェラテの出来がどんな風か、ひと口飲んだ瞬間にどこかへ報告するわけには行かないだろう。多分その時、私は車の中だ。
携帯だけは持って行くが、本もPCの類いも持っては行かない。そもそもネットには繋がらない場所だ。ポメラも置いて行く。遊びに行くわけではないのだから当然だが。
さて、明日はどんな1日になるだろう。
Black Widow (6/29) |
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突然、ビリヤードに夢中になっていた頃のことを思い出した。10年にも満たない間だったが、それなりに真剣ではあった。
後で知ったことだったが、世界大会の頻繁に開かれる大きな街に比較的近く、ここよりさらにビリヤードの盛んな隣国の国境に近いために、この街にはプロとセミプロがひっそりと大量に集まっており、私が後(のち)にオーナーに頼まれて仕事をすることになったビリヤードホールは、そうした人たちのたまり場だった。
私が自分のキューを手に入れて、ひとり玉を突き出した頃、たまたま私と外見に共通点のあるプロの女性プレイヤーが世界大会で優勝したとかで、それを理由に私に話し掛けて来る人が多かった。彼女を目指して私が玉を突いているのだと思ったらしい。やっとルールを把握したばかりの私が、プロの選手の話など知っているはずもなく、彼らが(そこで出会った人たちはほとんどが男性だった)きちんと発音のできないその選手の名前も、私にはひどく聞き取りづらく、その選手のことを正確に知ったのはずいぶんと後のことだ。
20にもならずに、大きな国内大会で優勝したある選手は、ビリヤードをオリンピックの種目にと真剣に運動していたらしいが、プレイヤーのほとんどはテーブルの回りにいる時は煙草とビールが欠かせず、ゲームの間の休憩のたびに人目につかない裏手で、こそこそとマリファナを吸っているのが普通の状況では、とても現実的な話とも思えなかった。
彼はその後、よくある流れでもっと強い薬に手を出し、素人の私にすら勝てなくなってしまった。
素人ゆえに、彼らの話にきちんと耳を傾ける私を、彼らは都合良く解釈して、素直な人間だとか教えやすい人間だとか言っていたが、家族も親戚もないひとりきりで、言葉も習慣も違う場所へ引っ越して来た私が、彼らの思う通りに控え目でおとなしい人間のわけもない。
私は相手のミスを誘うやり方でしつこく粘って勝つと言う、よく卑怯と罵られるやり方をしたが、それがむしろ私の本性で、私に負けると彼らは必要以上に悔しがり、中には暴力沙汰を起こしそうに怒りを露わにする人もいたが、私の幼い外見のせいかどうか、幸い実際に殴られたこともキューやボールを投げつけられたこともない。
彼らはよくゲームで賭けをしたが、練習するだけで精一杯の懐ろ具合の私は彼らの誘いにまったく乗れず(もちろん、乗る気はさらさらなかった)、それをプールホールのオーナーが金を扱わせても心配なさそうだと判断して、ある日私に仕事の話を持ち掛けて来た。
その頃、内職のようなことをして日銭を稼ぎ、後は貯金の残高を心配しながら暮らしていた私には願ってもない話で、給料の話すら聞かずにそれを受け、翌々日には仕事を始め、最初は週に2日程度と言う話だったのに、私が店を閉めるための午前2時までの勤務にも文句を言わず、祝日(家族で集まる日らしいが、私にはまったく関係がない)の出勤も嫌がらないと分かると、すぐにそれが週に5日になり、多い時は7日全部と言うこともあった。
雨風しのぐための小さな部屋で本を読み、友人に手紙を書くだけが楽しみの日々で、毎日が仕事で潰れたと言って文句を言う誰もいず、午前2時(時には3時)に仕事を終わらせてから、翌朝9時に出勤、そしてそのまま夜までと、3連勤と言う無茶もたまにあった。
残念ながら、本職は小学校の教師であるオーナーの、セミプロの息子の酒癖と薬物中毒が原因でそのホールは人手に渡ってしまい、ホールの売り渡しに、従業員も含むとあったようだが、私はもうその時、人はいいが酒に飲まれて醜態を晒す彼らに付き合うのにうんざりしていて、彼らもまた、テーブルやキューや道具の扱いに口うるさく、接客につきものの可愛げと言うものがまったくない私が煙たかったらしく、新しいオーナー(彼らのひとりだった)は私が売却と同時に辞めると言うのを、形だけしか引き止めなかった。
別の、飲酒も喫煙もしない、そして賭け事もしないオーナーのプールホールへ通い始め、そこでチームに入ったりトーナメントに参加したり、甲子園を目指す高校球児程度に真剣に、私は玉を突いた。
あまりに真剣な選手のみ向けだったせいか(私にはありがたい環境だったが)、テーブル使用料だけで売り上げが振るわずに破産に追い込まれ、そしてそのホールよりも1年早く、私の以前の職場だったホールは、新オーナーと客たちが暴力沙汰でやり合って(双方ひどく酔っていた、と言う話を聞いた)、"迷惑な客たち"を出入り禁止にした結果客足がまったく途絶えてしまったと言う理由で、潰れていた。
いつの間にか、街を歩くとよく見掛けた彼らはもうどこにもいず、他の街へ流れて行ったのかどうか、消息も知れない。
幾人かは、まれに大会のテレビ中継で顔を見ることがあるが、今は完全に悪癖ときれいに手が切れていることを祈る。
私は、ホールがふたつともなくなってしまった後、プールテーブルのあるバーへ通っていたりもしたが、真剣にやるには適切な場所も金もなく、そのままビリヤードから遠ざかってしまった。
ホールのあった場所を通り過ぎるたび、賑やかだった頃を思い出す。困ったことも多かったが、それでも確かに楽しい日々だった。
今も数本のキューは革のケースに入って手元にある。いつかまた使う時があるかもしれないと、そう思うことはやめられないままだ。
古い試合をテレビで再放送で見掛け、毒蜘蛛とあだ名された元チャンピオンのキューさばきに見惚れて、そう言えばその言葉は喪服の未亡人と言う意味もあったと初めて思いついて、毒蜘蛛になれなかった私は、だが未亡人にはなってしまったと思った。
キューの先が玉を突く、耳に突き刺さる、それでいて円い音に、私は目を細めて耳を澄ませる。
不眠 (6/28) |
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眠い。また不眠の周期がやって来て、私はしばらく2時間以上まとめて眠っていない。
眠気はあるのに、目を閉じていても眠りがやって来ることはなく、頭はちゃんと空っぽで、中に嵐があるわけでもないのに、私は眠りに落ちることができない。
耳の奥に砂嵐があるのなら、これは薬が必要な不眠なのだと見当もつくが、私は驚くほど空白で真空で、体はリラックスしているし、睡魔さえやって来るなら数秒で眠りに落ちる自信がある。
眠れない。
軽い薬の助けを借りることもできるのだが、タイミングを誤ると朝まで眠れずに、午前も遅くなってから効いて来て、そして夜また眠れないと言う羽目になる。
酒も同じだ。効けば4時間は眠れるのだが、運が悪いとまぶたに器具でもはめられたように目が冴えて、明るくなるまで眠れないままになる。
私はもう長い間、4時間以上まとまった睡眠を取れたことがない。
以前は、悪夢のせいだった。その後に頭の中に砂嵐が居着いてしまい、その後に脳の異常活性がやって来て、どれも時間の経過でゆるやかに落ち着きはしたのだが、不眠それ自体は完全に解消はされず、せめて6時間寝たいと、誰にも言わずに心の中でだけ思っている。
今夜は少し疲れていて、酒でも飲むかと考えているところだ。
睡眠薬代わりの酒はあまり良いことではないのだが、習慣にさえしなければと自分を甘やかして、せめて夜明けの手前までは眠っていられるだろうかと、冷蔵庫の中の白ワインに今心を馳せている。
眠い。ちゃんと眠気はある。それなのに眠れない。
少しばかり込み入った案件は片付いたのだから、何も不安になる必要はないのに、それなのに私は眠れない。
水を飲むグラスに注いだ白ワインを、ちびりちびり飲んで、飲み終わったらベッドへ行こう。3時間眠れますように、神様、とどこへともなく祈りながら。
お休みなさい。
6/27 |
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誰かと、何かを"一緒に"やるのが好きだ。
別に顔突き合わせて、同じテーブルで作業をすると言うわけではないが、誰かと何かを一緒にやるのが私はとても好きだ。
事前に、一緒にやろうと話し合いをすることもあるし、誰かが書いたものに仕掛ける形のこともある。仕掛け合って、意図せず連作の形になって、自分が思いもしなかった方向へ心地好く進んで行くのを、眺めているのも好きだ。
先を決めずに、順番に数人で書き継いでゆく、いわゆるリレーと言うのも何度もやった。結末は常に柔らかく押し付け合うことになるが、少なくとも私は、誰がどのように書いたどの結末も最初から決まっていたことのように、これしかない1話だと感じながら読んだ。
絵を見せられ、そこから何か書くこともよくある。挿絵とも、字だけのリレーとも違う、それもまたとても楽しい。
書 / 描くことは基本的に孤独な作業だから、孤独でない時があるその非日常性が、私はとても好きだ。
誰かに、一緒にやろうよと声を掛けるのは、正直とても難しい。そんな気分ではないかもしれないし、自分とはやりたくないかもしれないし、誰かと何かをやるのが好きではないかもしれない。
結局自然発生(と言いながら、私が勝手に発生させることが多々あるのだが)を待つのがいちばんと言うことになる。
誰かと関わることで、その時だけで終わるにせよその後も続くにせよ、少なくとも私自身には私自身の変化が感じられて、実際に脳に回る酸素の量が増えているのが分かる。
私だけの手前勝手だが、だから私は、そうやって誰かと関わるのが好きだ。
今日はここまで。
朝の顔 (6/21) |
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朝のバス停で、何となく挨拶する人がいた。
会釈だけをしていた私に、おはようございますと声に出して返し、翌日から私は、その人におはようございますと言うようになった。
必ず会うわけではなかった。会わない日にはどうしたかなと、何となく思うようになった。
その人は他の人にもおはようございますと言い、私にだけ声を掛けるわけではなかったが、その人の声を通して、バスを待つ私たちは何となく繋がり、不思議な事にその人がいなければその他の私たちはまったく赤の他人同士の表情(かお)で、視線すら交わしもしない。
挨拶以上の言葉を交わすわけではなかった。おはようございますと言ってそれきり、後は黙ってバスを待つ。
ここでバスを待つなら、住んでいるのは近くだろうし、バスを使うなら車を持っていないか免許を持っていないか、あるいは事情があってそれらを使うことができないのか、もちろん不躾にそんなことを訊くこともできず、私はただその人のことを想像した。
ひとり暮らしだろうかと、何となく考えて、だが歯切れのいい挨拶の響きは、人と交わるのに特に問題があるようにも思えず、きっと家族がいるのだろうと続けて考える。
散歩の犬が通り掛かれば必ず笑みと視線を投げていたし、バス停の途中の家の前に猫の姿があれば、それにもおはようと言っているのが口元の動きで分かったから、どうやら動物好きらしいと察しられた。
同じ程度に、人間も好きな人なのだろう。他人とは距離を取り、人と親しくなるのにひどく時間の掛かる私は、バスを待ちながら漫然と考えている。
こんな私だからこそ、無礼と思われないように、会釈と挨拶は欠かさない。笑顔で挨拶をしている限りは、人はその人物を危険とは見做さないものだ。
私は危険人物ではないが、厄介者と思われ面倒に見舞われることは避けたい程度に、人が苦手で俗人なのだ。
その人はそうではなく、ごく普通に、人当たりの良い、真っ当な人に見えた。
誰にでも優しい人なのだろう。犬や猫にも、きちんと優しい人なのだろう。
その人の声は、私の朝をいつも明るくしてくれた。その人に返すために、私はきちんと声を出して微笑まなければならなかったから、鬱陶しい夢で頭の重い日も、バス停に向かう間に背筋は伸びて、その人がおはようございますと私に声を掛けるまでには、私の気持ちはすっかり平常になっている。
いや違う、私の平常は仏頂面の、何に対しても瞳すら動かさない怠け者なのだから、その人に会う時には、私はむしろ上機嫌と言うべきなのだろう。
おはようございますとその人が言い、私の朝はそれで上等の朝に変わる。
顔に出すかどうかはともかく、私は良い気分で1日を過ごし、またバスに乗って帰宅する。
その人が、姿を消した。
前触れはなく、せいぜい2日続けて姿を見ない以前と違って、それはもう何週間にもなっている。
私たちはむっつりと黙ってバスを待ち、暑さや寒さや雨にしかめ面を浮かべ、自分以外がすべて人殺しか強盗と思い決めた風に互いを見て、その人を欠いた私たちは、同じバス停で同じバスを待つだけの間柄になってしまった。
また戻って来るだろうかと、バスを待ちながら、私はいつも辺りを見回している。
バスの時間を変えたのかもしれない。引っ越したのかもしれない。仕事が変わったのかもしれない。車を手に入れたのか、免許を取り返したのか、もうバスに乗る必要がなくなったのかもしれない。
おはようございますと言う、その何の変哲もないごく普通の挨拶で、その人は私(たち)の朝を変えた。その人に変えられた朝は、残念ながらその人なしでは続かないようだった。
近頃、人へ挨拶する時の私の笑顔は、以前以上にいっそう不自然な気がする。
歯切れの良い発音を何とか思い出しながら真似て、私は誰に対しても何に対しても害意はないのだと、そう示そうとして、それが以前以上に上手く行かずに、ほんとうに逃げ回って隠れ住んでいる犯罪者のような気分に陥っている。
あの朝が、私にはとても大事だったのだ。
金魚と私 * 6/19 |
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じゃあ、もらってくださいよ、とはまだ言えない。言った方がいいのかどうかもまだわからない。
私は黙ったまま夏の午後の窓枠を横目に、澄んだ闇と憂いを静かに混ぜ、不透明に明るい幕で覆う。バーだったら振ってしまうのだろうか。それともこれ以上触れないままの方がいいのだろうか。
でも、彼女も彼女も、そして多分彼女も、フレームの中だけの存在でないことが俺にはわかるし、少なくとも彼女は自分の恋を食べて生きていることもわかった。今はそれでいいと思えるようになったのも、きっと彼女のおかげなんだろう。
ただいまと言いながら、かかとをすり合わせて靴を脱ぎ、私は部屋の中へ入りながら大きくため息をついた。
人混みを肩を縮めて歩いて来て、自分の部屋にたどり着いて、薄暗いちょっと淀んだ空気の中の静けさに、私は全身の力を抜く。
「ただいま。」
今度はもうちょっと声を張る。ネクタイをゆるめて、荷物を適当に置いて、着替える前に床に坐り、そこだけ薄青く発光する小さな水槽の中で、私を正面から見ている小さな金魚へ向かって精一杯の笑みを浮かべる。
疲れが一挙に全身に押し寄せ、それでもひらひらと薄いひれをなびかせて私を見つめる金魚の、鮮やかな緋色から少しずつ金色に寄ってゆく鱗の連なりを見つめているうち、この部屋の外で今日も起きたことすべて、私の背中から次第に遠ざかってゆく。
「やあ。」
金魚に向かって、私はひらひらと手を振った。
顔の両側に飛び出した目、丸く開いた、ぱくぱく水中の空気を求める口、私たちの思う表情と言うものは特になく、それでも泳ぎ方や口の開き方やひれのなびき方で、金魚は確かな喜怒哀楽を伝えて来る。
触れるためには水の中に手を入れる必要があり、水の中以外で金魚は存在することはできず、この、せいぜいひと抱えほどのガラスの水槽の中で、わずかに置かれた水草の間をくぐるようにして1日過ごし、仕事に疲れて帰って来る私のどす黒い顔を眺めて、それが金魚のすべてだった。
そして金魚が、私のすべてだった。
水槽のガラスへ掌を軽く押しつける。指の付け根の、かすかに盛り上がった辺りへ、金魚が口を近づけて来る。水とガラスと空気に隔てられた、金魚と私の関係。金魚とふたりきりでいられたらいいのにと、私はもう長い間考え続けていることをまた考えている。
丸い張り切った腹、輝く鱗、どこまでも繊細に華麗なひれ、黒々と濡れた瞳、私だけが見ることのできる、金魚の姿。
私が与える餌と、私が与えるきれいな水と、私が与えたこのガラスの壁に区切られた小さな世界と、金魚はそれしか知らない。見つめる私の視線を受け止め、それを拒みはせず、この世界はこういうものなのだと、あるとも知れない脳みそで考えて、金魚は見つめる私を見つめ返して来る。
私は金魚を、たまらなくいとおしいと思った。
遅くなった昼休みに、何を食べようかと考えながら歩いていて、ふと視線に入った喫茶店の窓の中に、カウンターに向かい合う人たちの姿が見えた。半分だけ見える顔(男だった)とこちらに向いたちょっと丸い背中(女と知れた)。
一瞬顔の位置をずらし損ねて、ふたりの間の距離をうっかり測ってから、ようやく私は視線を外してまた歩き出す。
通り過ぎる交差点で、止まっていた車の中にいたふたり。腕の位置で、助手席の女が運転席の男に触れているのが分かった。
どちらのふたりも、窓の枠に切り取られて、水槽で仲良く一緒に泳ぐ魚のように見えた。
あれらのふたりは何にも隔てられてはいず、同じ世界に一緒にいる。同じ空気を吸い、互いの吐いた二酸化炭素を取り込み、吐き出しては吸い、一緒にいる。
金魚と私は、そのようなふたりにはなれない。ひとりと1匹。ふたりにはなれない。
この水の中に頭を突っ込んで、溺死することはできるだろうか。私の吐いた二酸化炭素を、金魚が吸う。そして吐く。金魚の吐いたそれを、死ぬ寸前の私が吸う。吸い込んだまま、死ぬ。そうして私たちは、かすかでも何かひとつのものを互いの肺の中に共有する。
あなたを愛す * 6/18 |
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itext Reply |
買い物へ出るよう水を向けたのは僕で、アイスに名前を書かずに友人の部屋の冷凍庫に入れておきたくなったのも僕だ。そしておまけのように見つけたシャーベットに、小さく願を掛けて割ると、きれいにふたつになった。
うまく割れても割れなくても、友人の利き手に近い側の手にあるほうを渡すことは買う前から決めていたし、実際そうした。友人は僕がアイスをうまく割れるかどうか気にしていただろうか。どちらを渡すか気にしていただろうか。
ハンカチでぱたぱたと顔を仰ぎながら、通りすがりの喫茶店へ入る。このまま歩き続けるには暑過ぎる。少し休んで行こうと、素早く交わした目配せでそう言い合った。
彼女はアイスコーヒー、私はコーヒーフロート、メニューを斜めに見て互いに10秒も掛からずに注文は決まり、窓際の席で涼しい風を堪能して、私たちは路上を行き交う人たちを眺める。
路面からかげろうの立ち上る、夏の午後、汗を拭うのにハンカチ1枚では足りず、私はすでに使っていたハンカチをカバンの奥へ押し込んで、新しいのを財布の上辺りへ置いた。
「暑いね。」
「暑いね。」
ちょっと違う調子で言い合って、すぐに出て来た冷たい飲み物に、私たちはさっそく口をつける。
店内にぎっちりと満ちた冷たい空気で、汗まみれの皮膚は冷やされ、氷の浮いたコーヒーで喉の奥と胃が冷やされてゆく。
ようやく人心地ついて、私たちは同時につるつるしたテーブルへ肘をついた。
「飲む?」
彼女が、自分のアイスコーヒーを私の方へ差し出して来る。私は首と背中を伸ばして向こう側へ近寄り、ストローを唇の間に挟んだ。
すでに彼女が触れているそのストローから、私はひと口、ゆっくりと苦いコーヒーを飲む。
「飲む?」
お返しと言う素振りで、私は自分のコーヒーフロートを彼女の方へ滑らし、私がすでにそこに唇を寄せたストローの先に、今度は彼女の唇が触れる。白いストローに薄く茶色が走り上がってゆく先の、彼女の口紅がなくても十分に赤い唇に、私はじっと目を凝らしている。
「あまーい。」
「ブラックは飲めないもん。」
彼女が大袈裟に言うのに肩をそびやかして、彼女の唇の感触が消えないうちにと、私は急いでストローへ指先を伸ばす。
冷たいはずのコーヒーが、そのひと口は何だか熱く感じられて、唇を離した後で私はむやみにストローで氷をつついた。
彼女が、この間見た映画の話を始める。貧しい若者たちが何となく集まって、楽しく苦しく騒がしくバンドをやる話だ。きっと好きだと思うよと、彼女が私に言う。そうだろうねと私が相槌を打つ。
すでに見ていることは言わない。だったら一緒に行こうよと、彼女に言うためだ。私と一緒に、彼女はすでに見ているその映画を、もう一度見てくれるだろうか。
映画の前にお茶をして、映画の後に食事をして、そうして互いの乗り換えの駅で分かれて、私たちが友人同士でないなら立派なデートだけれど、私たちはただの友人で、今も彼女の買い物の付き合いに街に出て来て、私は内心とても浮かれている。
彼女はもう半分以上アイスコーヒーを飲み終わり、私はまだコーヒーに浮いたバニラアイスには手をつけず、良く効いた冷房のせいで、アイスは最後まで形を保っていそうだった。
外から見える私たちは、窓枠で切り取られてふたりきり、小さな水槽に入れられた魚のように見えるだろうか。区切られた世界にふたりだけで、誰も私たちを指差さず、私たちの存在を知りもしない、そんな世界。
溶けないこのアイスと同じように、一途な私の想いは、溶けてもコーヒーにはきちんと混ざらないのと同じに、どこにも行けず、何にもなれず、私の胸の中でただふくらみ続けている。
ずずっとちょっと品のない音を立てて、彼女がアイスコーヒーを飲み終わった。私も慌てて自分のストローへ視線を落とし、まだぼってりと丸い形を崩さないアイスの、わずかに黄みがかった白い輪郭を、なぞってそれが彼女のとても柔らかそうな頬の線に似ていると思う。
「ひと口ちょうだい。」
アイスの溶ける季節 * 6/17 |
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アイスを買って帰りたくなる季節ほど、帰り道でそのアイスが融ける。
暑くなればアイスが溶ける(直球)
「メシどうする?」
友人が訊く。ゲームがひと段落したのか、指先でまだぱちぱちコントローラーのつまみを弾きながら、僕の腕の下の原稿用紙へちらりと視線を走らせた。
「何か買って来るか。カップラーメンでもいいだろ。」
「何だよ、何にもねえのかよ。」
「おまえが昼に全部食べちゃったんだろ。夕飯のつもりだったんだぞアレ。」
汗に湿って肘にすぐくっつきに掛かる原稿用紙をテーブルにしっかりと押さえつけて、僕は傍らのタオルで腕を拭く。鉛筆の下書きだからまだいいが、ペンが入り始めたら汗でインクがにじまないようにするのにひと苦労だ。
「冷やし中華売ってるかなもう。」
「多分。」
歩いて10分のスーパーへ、肩を並べて出掛ける。夕方は過ぎてまだ明るいが、人通りは少ない。
僕が住んでいるアパートに、寮暮らしの友人(クラスは違うが学年は一緒だ)はたびたびやって来て、週末はゲームで徹夜をして泊まり込んでゆく。僕はどうせマンガの原稿(僕は漫研と文芸部のメンバーなのだ)の締め切りでいつも夜更かしだから、友人が傍でひと晩中ピキピキやっていても邪魔にはならない。
わざわざ僕の部屋にゲーム機を持ち込んで、滅多と見ることのないテレビに繋いで、ゲームに飽きると原稿中の僕にコーヒーを淹れてくれたり、僕の原稿を見てあれこれ言ったり、僕の本棚の本や漫画を読んでけらけら笑っていたり、僕の勝手気ままなひとり暮らしの部屋が気に入っているだけだろうが、僕らはそれを除いても何となく気が合った。
ゲームに夢中になると他のことが目に入らなくなる友人は、原稿の締め切りが近くなると目に血の走る僕とよく似ていたし、そんな友人のゲームを中断させてカップラーメンを一緒にすするのは僕で、僕の原稿を休憩させてコーヒーを差し出してくれるのは友人だった。
スーパーにはもう冷房が入っている。ひんやりとした空気に、僕らはまるで生き返ったように背を伸ばし、友人がカゴを取って、店の中へ進んでゆく。
冷たい麺の類いは見つからない。いなり寿司をふたり分取って、いつものようにインスタントラーメンの棚へ行き、明日の夜までの分をふたり分、自分の分を勝手に好きに選んでカゴに放り込む。
払いは友人だ。でも僕はだからと言ってむやみに高いのを手に取ることはしない。
「菓子パンでも買ってくか?」
カゴの中を眺めて、友人が言う。頭をパンのコーナーへもう巡らせている。
「パンか・・・。」
僕は気の進まない表情を浮かべた。
「どうせ夜に腹減るだろ。」
「そうだけど・・・」
友人はパンのコーナーではない方へとりあえず進み出し、僕はじゃあ何が欲しいかと考えながら後へ続く。
ラーメンといなり寿司の後なら、もうちょっと違う感じの──
6/16 |
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そろそろサンダルを買い換えなければならないのだが、今度はどの色にしようかと迷っている。
1足目は黒だった。灰色の柄が入って、黒でもそれほど足元は重くならず、暗い色(黒と緑と紺)ばかり着る私はおかげで勝手に動く影のようだった。
2足目は錆びた珊瑚色と札には書いてあって、確かにくすんでややオレンジ色に寄ったその色は、名前から受ける印象ほどは派手でもなく、足元くらいは少々明るくてもいいかと、めったに身につけないその色を私は意外に気に入っていた。
足元が明るくなって気が大きくなったのか、新調した眼鏡のフレームもちょっと暗いオレンジ色を選び、普段持ち歩くカバンについた反射布は明るいオレンジで、暗い色ばかりと思っていた服や持ち物に意外とオレンジみの色が多いと気づいて、ちょっとだけ恥ずかしくなる。
以前新幹線のホームで、全身がピンクがかった紫ひと色の女性を見掛けたことがある。上品よりは派手に近い色合いの強烈さは、けれどそこまでその色が好きだと言う女性の声のようなものを伝えて来て、呆れるよりは微笑ましくなったことを覚えている。
そこまで貫けばいいのかもしれない。けれど、緑一色なら何とかなっても、さすがにオレンジ一色で全身を染める気にはならず、次のサンダルはさてまた例の珊瑚色にするのか、あるいは黒に戻るか、それともオリーブと称されている明るい黄緑色を選ぶか。
緑は好きだが、好きなのはいわゆる宇治色か暗い迷彩色で、陽射しを浴びてのびのびと葉を広げるオリーブの樹を思わせる緑を、果たして身につけられるだろうか。
誰も私の足元など気にしてはいないだろうが、鏡で眺める自分の姿は自分ではそれなりに気にはなる。手に入れるのはもう少し先だろうが、それまで私は、どの色にするかと楽しく迷うのだろう。
もっとも、子ども用の方が種類は多い私の足のサイズでは、いざ買うと決めて実際に買えるかどうかは賭けなのだが。
その賭けに勝てるように祈りながら、私は今日もまた楽しく新しいサンダルの色のことを考えて、バス停までの道をサンダルで歩く。
6/15 |
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数日涼しい日が続いたが、明日から暑くなるそうだ。
今は雨が降り出す寸前で、空気が湿っているのが分かる。以前骨折した跡も痛む。
明日の雨は雷も一緒だそうだ。出掛けようかと思っていたが、やめようかと今考えている。
明日は1日家から出ずに、本を読んで音楽を聞いて、パズルでもやって過ごそうか。そろそろ何とかした方がいい書類もある。仕事のメールの下書きと言う手もある。
頭の中で考えて、結局どれひとつ手をつけなかったとしても、それはただそういう日だったと、罪悪感は抱かずにベッドへ行こう。
とりあえず、明日暑いなら、そのために新しい麦茶は作っておいた方が良さそうだ。それだけはきちんと済ませて、今夜はそろそろ寝ることにする。
ミントの粒をひとつ口に放り込んで、噛まないようにしながら、それが完全に口の中で溶けてしまうのを合図に、私は眠りに落ちる。ミントのチョコレートを探して街をさまよう夢か、それともミントの匂いのする化け物に追い掛けられる夢か、誰かがミントティーを淹れて振る舞ってくれる夢ならいいなと思いながら、目を閉じて、雨音に耳を傾けて、眠る。
お休み。
バンドやろうぜ (6/13) |
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その頃私は、ちびベーと呼ばれていた。ちびでベースを弾いていたからだ。
黒いレスポールをだらっと下げて弾くギターはいつも伏し目で無口で、ボーカルはやたらとおしゃべりな明るいお調子者で、理屈っぽいドラムは皆から頭ひとつ突き出たのっぽで、共通するのはプログレが好き(とは言え、好きなバンドは違っていた)と言うことだけで、ドラムの作るむやみにポップな曲に、歌詞をつけるのは私の役目だった。
レスポは、ギターを抱えていないと人と話せないタイプで、それでもソロが始まると歓声が上がる程度には人気者で、ボーカルは放っておけば歌うよりもしゃべる方が時間が多くなるのを、いつものっぽが後ろからスティックを投げる真似をしては牽制していた。
私は黒か緑一色の姿で機材に完全に溶け込んで、弾いても弾かなくても曲の調子には一切関係がなく、皆といると、「おまえ誰だっけ?」と冗談でなくメンバーの友人知人から訊かれたものだ。
スタジオの時間に最寄り駅で待ち合わせをしていると、ベースのケースの影にすっかり隠れてしまうような私は、チューニングにヘッドにまともに手も届かないような自分が、なぜこのバンドでベースを弾いているのだろうと、練習の時には生真面目になる彼らを見ていつも思っていた。
私は器用貧乏でドラムも叩けたので、のっぽが練習に来れない時は確かに便利だったろう。歌詞を書くのも苦ではなく、曲はいいと言う評価は確かにあったから、私もそれほど捨てたものでもなかったのかもしれない。
ボーカルが歌詞を書き換えたいと言うたび、書き換えた後で「元の方がいい」と言うレスポと、「オレが書いた方がマシじゃね?」と混ぜ返すのっぽと、どちらがいいか自分で決められないボーカルと、ケンカになりそうでならない、3人と私の不思議な空気だった。
他により良いメンバーもいないと言う理由だったのかどうか、私たちは思ったよりずっと長く一緒にいた。デモテープを何本か作り、1枚だけインディーでアルバムも出した。
ライナーやジャケットの中に印刷される私は、ちびベーではなく一応は本名を名乗り、それでも無理矢理撮った写真の中ではやはり背景の中に溶け込んでしまって、私は相変わらず「誰?」と問われる存在であり続けた。
ボーカルが、最初にきちんと就職を決め、しばらくは背広姿でスタジオに現れたりしていたけれど、ライブのスケジュールが合わなくなり、ある日ついに「オレ、辞めるわ」と言ってバンドを出て行った。
他のバンドに入るのではないかとのっぽはしばらく言っていたけれど、ボーカルはほんとうにそのまま私たちの周辺から姿を消してしまい、結婚して子どももできたと、数年後に風の噂で耳にした。
すぐには後釜が見つからず、ソロの時以外は観客に近寄れもしないレスポに歌わせるわけには行かず、仕方なく次のデモの準備は私が歌う羽目になった。
マイクスタンドの前に踏み台が置かれると言ういたずらを、のっぽに何度かされ、「誰が歌ってんだ見えねえぞ!」と客から笑いと一緒に野次られた後で、人前で歌うことに慣れつつあった私はヤケクソで開き直り、ステージでも踏み台を使うようになった。
ベースも歌も中途半端なまま、私が足を引っ張っているのは明らかだったけれど、他の誰かを入れて何とか今保っているバンドの空気を壊すことが恐ろしくて、レスポものっぽも次のボーカル探しに本気の振りだけして、のっぽはこっそり前のボーカルに、戻って来ないかと連絡を取っていたようだ。
歌うようになっても、私は相変わらずちびベーのまま、野次られてもうまく切り返せない私の後ろで、いつもそれに野次り返して私のしゃべりを引き取るのはのっぽだった。
もう1枚、アルバムを出そうと、のっぽは必死だった。それに何とか答えようと、私も必死のつもりだった。
そして、そこからレスポが脱けた。
スタジオミュージシャンの話が来ていて、もう自力でやるのには限界がある、おれにはそこまでの才能はないと、いつもに似ないはっきりとした口調で、レスポは私たちの目を真っ直ぐ見てそう言った。
そうして、のっぽはドラムスティックを投げた。
曲も書けたし、キーボードも弾けるのっぽは、ドラムやバンドに固執する理由がなく、足手まといの私だけが残ったバンドに、悲しそうな淋しそうな一瞥をくれて、おまえと演れて楽しかったよと、そう言い残して去って行った。
レスポはサポートで、他のバンドやミュージシャンのツアーやアルバムのクレジットに名前を見掛けることがある。
ボーカルは普通にサラリーマンをしていて、今ではカラオケ程度で歌うだけになっていると聞いた(本気で歌うと騒音迷惑になると、ほんとうかどうか、同僚や部下に言われているそうだ)。
のっぽはプロデューサー業へ進み、自分で表立って演奏することはないけれど、名前を言うとああとうなずく人もいる。
私は今ではただのチビになり、ベースを弾いていたし歌っていたこともあったと言っても誰も信じない。1枚きりのアルバムはもう再生する機械も手元にはなく、ベースはケースごと押し入れの奥に押し込まれて埃をかぶっている。手放すことだけはできずに、それでももう中身を最後に見たのはいつだろう。
高い棚へ手を伸ばすのに、踏み台を使うたびに、唇へ触れたマイクの硬さを思い出す。上手いも下手もなく、ただ好きでそうしていた。弦を弾いて固くなっていた指先は、もう弦を押さえてまともに音を出すこともできないだろう。
誰にもすることのない昔語りだ。私にも、先のことなど考えずに何かに熱中していた時があったと言う、それだけの話だ。
ブックカバー (6/12) |
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友人に布小物を作る人がいて、用途がないままただ手元にあったきれを、私の好みに袋物にしてくれたことがあった。
ある時思いついて、本のカバーは作れるだろうかと訊いたら、ハードカバーと文庫本用に数枚作って手渡してくれた。お礼に、赤ワイン(彼女はそれ以外の礼を絶対受け取ってくれない)を数本送り、私はうきうきを読んでいた本にもらいたてのカバーを掛けた。
外出には大体本を持ち出すので、カバーがあれば表紙が折れたり汚れたりすることを防げる。家にいる時は、どの本を読んでいる最中かすぐに分かって便利だし、カバーの折り返しをページの間に挟んでおけるので、しおりを一緒に持ち出し忘れて困ることもなくなった。
本が汚れなくなった代わりに、毎日何度も触れるカバーに汚れが目立ち始め、その頃にはもうブックカバーは私の日常品となり、タオルやTシャツと一緒に洗濯機の中で回るようになった。
角が少し擦り切れ始めている。件の友人に修繕を頼むか、それとも新しいのを作ってもらおうか。コットンの手触りを親指の腹に楽しみながら、私はぼんやり考えている。別の1枚は着物の生地で、かすかな凹凸のあるなめらかな感触が、本と手に取るたび心地良い。
カバーのせいで覆われた表紙は見えず、そのせいで、ページを開くたびにまるで真新しい本を今初めて開くような心持ちを、私は何度も味わうことができる。
裏表紙のあらすじも見えず、一体これは何の本だったか、しおり代わりの折り返し部分を剥ぎ取るまで甦らない私の軟弱な短期記憶が、こんな時には少しだけありがたい。
表紙と本の内容が一致しないから、本棚から選ぶたびに、初めて読むような気持ちで私は最初のページを繰る。
カバーの掛かった本に特別な親近感を抱いて、私はそれをカバンに入れる。
これは私の本だ。私が読んでいる本だ。
自分が選んだ特別の1冊を手に、私は外に出る。バスを待ちながら読み、バスに揺られながら読み、カフェラテを飲みながら読み、またバスを待って読む。
家に着き、カバンからそれを出し、次はベッドへ持ってゆく。睡眠薬のような、私の読書の時間だ。
読み掛けのページに折り返しの部分を挟み込み、目覚ましや照明の傍へ置いて寝る。
明日本を開く時にはまた、おぼろな記憶で、一体どんな話だったかと考えながら続きを読み始める。
私の、少し壊れてしまった記憶を覆う包帯のように、ブックカバーは、私の読む本を覆う。私の読む本を、そうして守っている。
私の脳と記憶も、そんな風に何かに護られているのだろう。
夢の中に気まぐれに蘇って来る記憶の断片が、正しいものかどうかも定かには出来ない私の脳は、失った記憶の代わりのようにそこに文字を詰め込みたがる。文字を詰め込んで、失くした記憶の存在の記憶を、脳の外へ追い出してしまおうとしている。
本の表紙は覆われて、題も作者もあらすじも見えない。分からなくても、物語は楽しめる。きっとそれでいいのだろう。
ブックカバーに覆われてそこに置かれた本のように、私も毛布にくるまって眠る。しおりを挟んだ本のように、どこかから始まる夢の続きの中へ、読みかけのページを繰るように入り込んでゆく。
目が覚めれば忘れる夢、そんな風に、私はまた本を読む。
理由 (6/11) |
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何もしない日が続いて、そうすると脳が死んでゆくのが体感できる。脳はどんどん死んでゆき、動くはずの部分がまったく動かなくなる。その進行を何とか止めたくて、何かやろうと思った。
やっていたことをまた再開すればいい。せめて2日に一度家を出て、体を動かして、何もせずにモニタを眺めているなら、せめて手くらい動かそう。
何となく探して、750 Wordsを見つけて、「このくらいなら書けるだろ?」と言う文面に、そうかなと思って、中に入ってみた。
何も特別なことを書くわけではなく、ようするに日々の覚え書き(今私がこうしてしているそのままだ)を習慣として書きためてゆこうと言うことなのだが、残念ながらその750語と言うのはアルファベット系の言語しか対応していないらしく、私が何を書き込んでもきちんと字数を数えてはくれなかった。
そこで一度放り出し、それから改めて場所を作って、何でもいいとにかく深く考えずに指と手を動かし始めた。
書けば、そこにその瞬間の私が現れる。退屈しているかもしれないし、頭が空っぽかもしれないし、不機嫌かもしれないし、やたら浮かれているかもしれない。感情の現れない字が並んでいるだけに見えて、私自身には私自身の内側が見える。
今日の私は二度とどこにも現れない私だ。その私を、その瞬間に縫い止めてみようと、そう思って今私は指を動かしているのかもしれない。
人目のあるところに、こうやって自分の書いたものを晒して、だが私は私自身に向かって書いている。私自身が、私自身を知りたくて、こうしてただ反射のように指を動かしている。
壊死した脳を、それでも何とか動かせないかと、壊死してしまった後に手遅れかもと思いながら未練がましく、私は残った脳(残っているなら)を動かしてみる。
苦しまなければ書けないのだと、そう思った時があった。書かない私は私ではなく、だから苦しまない私は私ではないのだと、何の疑問もなく、のたうち回りながら考えたことがあった。
苦しみは減ったが、書きたいと思う気持ちはとりあえずは失せず、もちろんそれが指先に伝わるかどうかはともかくとして、私は今日もキーボードを叩いている。
続くまで続けてみよう。今日はここまで。
6/10 |
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何かを書く時に、いちばん手間取るのはタイトルだ。書き上げた後で頭を抱える羽目になる。
ごくまれに、最初から決まっていたり、途中で何となくそれらしいものが浮かんだりすることもあるが、たいていの場合は書き終わった後で気がついて、まだ終わってはいない、と言うことになる。
自分で書いたものに、タイトルをつけるのは苦手だ。何も考えずに書いている証拠のように、書いたものを要領良くまとめたタイトルと言うものを考えつく脳まではなく、人の書いたものを見ては、タイトルのしっくり具合に歯噛みをする。
無題とつけて放っておいてもいいが、それでは並べた時にどれが何やらまったく分からない。そんなわけで、せめて書いた日付でもと、タイトル欄を埋める。
自分のつけたそれはさておき、人の書いたものにつけられたタイトルは、眺めていてわくわくする。これから読む文章を予想して、タイトルとそのまま一致すれば気分がいいし、せずにひねったものなら、読み終わってから唸るだけだ。
何かタイトルをと、書き出す前には思っていたが、空欄のまま書き終わってしまい、そして何も浮かばない今日も、日付だけを入れておく。
6/9 |
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買い物へゆく。紅茶へ入れるための牛乳を買いに。
毎日必ず飲む紅茶に、牛乳が欠かせず、空のカバンに財布と鍵と文庫本を入れて、私は牛乳を買いに行く。
今時は店で買い物袋をもらえることは滅多となく、必ずそれ用のカバンなり袋なりを持ってゆく。今日のカバンは牛乳用の、しっかりした帆布のトートだ。別にこれ用と言って手に入れたわけではないが、重い牛乳を抱えて歩くのに大きさも頑丈さもちょうどよくて、いくつかあるポケットのそれぞれへ、財布を入れたり鍵を入れたり予備の手提げを入れたりして、私はほとんど空のそれを手に、バスに乗って牛乳を買いに行く。
牛乳を買うのが目的なのに、カバンに財布を詰めながら、まるでこれを持って外へ出るのが目的のように、私はちょっとうきうきとそれを手に、夕暮れの色のかすかに見えるバス停までの道を、通り過ぎる猫に手を振りながら歩く。
牛乳がなければ紅茶が淹れられない。それはほんとうだ。だがほんとうのところ、私はただこのカバンを手に、外へ出掛けたいだけなのかもしれない。
ほとんど空のまま、まだ軽いトートが、帰りには牛乳でずっしりと重くなる。家へ帰り着くまでに何度か右と左で持ち替えなければならないほど、帰り道には重くなる。
適当に作った夕食の後、ひとり分の紅茶を淹れて、たっぷりと、買って来たばかりの牛乳を注ぐ。これで私の1日は終わりだ。後は紅茶をゆっくりと飲み干して、読みかけの本を片手にベッドへ行くだけだ。
牛乳を運んだ後で空になったカバンは、たたんでクローゼットにしまって、私もベッドへ入って、眠る。
起きたらまた紅茶を淹れよう。牛乳はまだたっぷりとある。
掌と指に食い込んだ重さの分、冷蔵庫は牛乳で満たされている。それに安堵して、私は眠る。
そのひと |
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不思議な人だった。背の高く肩幅の広い、手足の大きな人だった。
素顔を見たことはない。濃く化粧をし、元の顔立ちの分からないほどあれこれ塗って、真っ赤な唇の下には薄青くひげの剃り跡が浮き上がり、白く塗っても隠し切れないそれが、その人の在り様を剥き出しにする。
「変な名前よね、開藤って。]
会うたび、その人はそのことを何度も口にする。
比較的珍しいとも言えるその姓と、手紙の字の太々しさ(押しが強そうと言う意味ではなく、紙の上で書かれた文字が妙に大きく見えたのだそうだ)に魅かれたから、会いたいと言うのに付き合ってやったと言う、その口調が女言葉だったのにはもうそれほど驚きはしなかった。
無理矢理に作った女の姿には、もちろん最初驚愕したが、物を書く人間にはこういう種類の人も多いのだろうと、拒む気持ちは湧かなかった。
「元々、"かいとう"と読んだそうですが、時間につれて"かいどう"と読むようになったそうです。」
姓のことを説明するのを、うるさそうに手を払って聞き流し、
「アンタは、藤の花は好きなの?」
「・・別に。]
ふーんとバカにしたように目を見開き、その人は赤い唇の間に煙草を挟んだ。仕草は、完全に女のそれだった。
不思議な文章を書く人だった。語尾の堅苦しい、そのくせ半ばに使われる語彙の、時折骨の抜かれそうなほど柔らかな、男の書いたものと言われれば軟らかいと言う印象が浮かび、女が書いたと言うならそれにしては女らしさの見当たらないと思うような、そのような小説を書く人だった。
血を吐いているような、呼吸をその間止めているような、読んでいて文章から血肉の感触の伝わって来る、命を削っている音の聞こえるような小説の、行間から不意に立ち昇って来る、その人自身の真正の穏やかな優しさが確かに在る。それをこの目で確かめたかったに違いない。
作品についての感想を数度送り、一体どのようにしてこんな文章を書いているのか一度見てみたいと、筆の走りに任せて書き送ってみれば、前述のように、手紙の字と姓が気になるから会ってやると、人を食ったような返事が来て、返信の名は小説を書く時の名のまま、それが一体本名なのかどうか、それは男にも女にも使える名だった。
「物を書くなんて、それ自体はただの作業よ。見たってつまんないわよ。大体髪の毛引きちぎりながら書いてる姿を見たいって、アンタ失礼よね。」
書く文章にはそのようなずけずけとした物言いは表れないのに、その人は実際には歯に衣着せぬ言い方をして、しかしどうしてかそれが気にもならず、並みより長い指の、それがペンを持って紙の上に置かれる様を、黙って想像している。
化粧と服装の華美さにも関わらず、その人はお世辞にも美しい女とは言えなかった。化け物と、ひそひそささやきながら通り過ぎる人たちもたくさんいた。
その人は、そんな声を跳ね返すように丈高い背を伸ばし、顔を高く上げて、隣りを大股に歩いてゆく。
その足に合うヒールの靴があったと言うのも驚きだが、会うたび服から靴からすべて取り替えて来るその人の、自宅の物入れの中身は一体どんなものかと、物書きの脳みそを中身を妄想するように、ひそかに考えもした。
声は女声(おんなこえ)に作って甲高く、このりっぱな体格さえなければ、女で通る場もあるだろう。
それを口にすると、
「別に女になりたいわけじゃないわよ。男はいやだと思って男のままでいたくないって思ったら、女になるしかなかっただけよ。」
そんなばかな、と思ったが、口にはしなかった。男でいたくないなら、それはつまり女になりたいと言うことではないのか。
「自分でいたいだけよ。男じゃないって分からせようと思ったら、この格好でいるのがいちばん手っ取り早いの。」
「男ではなく、女でもない自分で、ああいう文章を書いているのだと?」
意地悪のつもりではなく、問いを重ねた。
「何か書くのに、男も女もないわ。書きたければ書けばいい。アンタ、手紙を書く時に、男らしく女らしくって考えてるの?」
逆に問われて、一瞬考える。そうして、考えながら、うなずく。
「あ、そう、考えてるの、いちいち。ふーん。」
肩に掛かる巻き毛は、一体ほんものなのかどうか、その先を背中へかき上げながら、意外なことを聞いたと言いたげに片眉が大仰に曲がる。
くっきりと書いた眉、真っ赤な唇、色鮮やかなふわふわと体にまといつく服の生地、全身でここにいると絶叫しているような姿は、おかしなことに、ちょっと感情を抑えたように書かれた文章と奇妙に印象が一致していて、どちらが一体素なのかと迷うこともあったが、文章もまたさまざま装飾して書かれるものと我が身で知っているから、答えはどこかの真ん中辺りだろうと、曖昧なままわざと探しはしない。
男を拒み、女にはならず、その間には一体何があるのだろう。自分はこのような者なのだと、叫ぶその根底のないと言うのは、一体どんなものなのだろう。
Twitterに投げたもの。 |
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itext |
涙で汚れた顔を洗いながら、また泣く。
49日目には向こうへ渡る魂を、けれど永遠に引き止めておきたい。
こんなにもいとおしいと、気づいた時には掌は空っぽになっている。
皿を数えて、数が足りないと思った、52日目の朝。
抱いても抱いてももうあたたかくならなかった体の、小ささと軽さを、まだ手が憶えている。
さようならさようなら、素敵なあなた。あなたのいない世界の空気は、こんなにも薄い。
つらいつらい。あなたのいないことが、こんなにもつらい。
あなたがいない。どこにもいない。
● 「カップラーメンの麺が伸びている」から始まる140字の描写
カップラーメンの麺が伸びている。私はそれをじっと眺めている。眺めながら泣いている。チャーシューの色合いが、この間逝ったばかりの猫そっくりで、こんな寒い冬の日、このチャーシューみたいに丸くなっていたあの子の、もう二度とあたたかくはならない体。この冷めたカップラーメンと同じ冷たさ。
● "紅茶はすっかり冷めていた。"で終わる140文字小説
買った紅茶を飲みながら、じきに来るバスを待とうと思った。
にゃーにゃー鳴く子猫。それを見上げる母猫。睨まれても怯まずに、子猫をそっと抱いて地面へ降ろす。
こちらを見ながら去って行く猫の母子の傍らを、乗るはずだったバスが走り去ってゆく。
次のバスまで20分。紅茶はすっかり冷めていた。
● 信号は赤になったで始まるSS
信号は赤になった。ここの信号は長い。足踏みが自然に回れ右して、すぐ後ろのローソンへ向く。カフェラテを買う間に信号が青になり、店を出る時にはまた赤だった。
湯気の立つコーヒーをそっとすすり、湯気越しに見える赤信号への苛立ちは消える湯気と一緒に消えた。
信号は赤になった。
手持ち無沙汰に眺める向こうで、こちら側を見る誰かと合う目。思わず浅く会釈をすると、向こうが微笑みを返して来た。
信号が青になる。微笑みに引き寄せられて、けれど足は遅れて前へ出る。
見知らぬ微笑みとすれ違う私も知らず微笑んでいた。